内藤が超名曲の常識を斬る‼
Correcting big mistakes in famous pieces


「第九」ベートーフェン交響曲第9番《合唱》第4楽章

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「第九」に使われた“歓喜に寄す”の、よりましな?《日本語訳》

  今迄世界中でベートーヴェンの真意が理解出来ず、意味も解らないまま誤訳されてきたBr.のRec.。それらの誤訳を正しいとするなら、“こんな調べではないそうではなく、もっと心地よい歌を歌おう”という、4楽章冒頭からのFan.Rec.それに続くシラーの詩にすら何らの関係もない意味不明なRec.を、彼は突然、自分独自の主張として、何が何でもシラーの詩の前に付け加えたかったことになる。否! 彼の真意はこうだ!自由主義者である彼にとって、ウィーン会議後の、不平等な封建制の急激な復権に対する怒りは頂点に達し(7頁参照)、その復権を拒絶して彼が熱望する自由平等の世界を実現させるため、4楽章冒頭のRec.と同様、Br.独唱の直前にも、その復権を象徴する絶望のファンファーレ❞を怒りを込めて書き、それを冒頭のチェロとバス同様、大変速いテンポ(vivace)のまま完全拒絶(nicht diese Töne)させた。続いて“そんな世の中ではなく、もっと心地良い(自由平等な)社会に変革すれば(anstimmen)”、皆で喜び溢れる(理想郷への道を歩んでいける)⇒Freude! ”として、志を同じくするシラーの詩にうまく繋げて行ったのである(11頁参照)
 この詩では、神を敢えて多神教(複数形)の形で書いていることから、すべての“dein" (あなた)は、一神教である“キリスト教の”ではなく、“Freude(至福の歓喜)”を指す代名詞として使われていることが判る。これは当局に監視されつつも、シラーと共に当時の慣習であったキリスト教的表現に敢えて背を向けているとも言える。即ちdeinを、通常誤訳されているように、“キリスト教の神” 的に訳すことは、彼らの意思からも、宗教上や文法的見地からも明らかな誤りである。deinを正しくFreudeの代名詞的に訳した結果、そのdeinにより表出される“歓喜”を含め、シラーの詩のあちらこちらに “歓喜” が散りばめられていることが判明し、この曲が真に “歓喜に寄す” の名前に相応しいことが判る。しかし、この“歓喜に寄す” の終盤Brüder 以下の節には、劇的効果を狙ってか、満を持して万物の上に君臨する創造主(キリスト教の神)を出現させている。つまりこの詩の中で、「ある時は多種の神々の存在としてギリシャ神話の神々等を出現させ、しかも“神”に直接関係しない節の多くには、一見、互いに何らの脈絡も無く見える句を並列させている等、意味不明なストーリーを支離滅裂に展開している箇所が多い」として、彼は初演当時の批評家たちの厳しい批判にさらされた。そこにはベートーヴェンによる原詩の削除と切り貼りの仕方や、詩句の勝手な変更に対する批判も多く含まれていたことは言うまでも無い。彼の死の1か月前(1827年2月)に指揮したレーヴェは、その意味不明な詩の構成等を「狂喜のような、錯乱状態にある病人の支離滅裂な妄言」と厳しく批判し、同時に「この奇妙な詩」は“理解不能であるにも拘らず、演奏後には、それが理解できてしまったかのような錯覚を起こすほどの興奮の瞬間が存在する”と、その音楽を詩とは切り離して賞賛した。当時この批評は的確であるとして「第九」の批評の定番になったという。この詩の多くの部分は比喩により成り立っており、その難解な比喩の真意を正しく推測することが、この編作詩を理解する必須要件となる。
O Freunde, nicht diese Töne! sondern lasst uns angenehmere anstimmen,
お~友よ、こんな(汚い)響き(絶望的世の中)であってはならない(厳しく拒絶しよう) ! そんな(極端に特権階級最優先で不平等な)(世の中)ではなく、もっと心地よい(自由・平等・友愛に溢れた社会に)変革しよう。
封建制の急激な復権等革命前より酷い世に怒り、4楽章冒頭のVcとCbのRec.の下書きに“絶望の世”と書き強烈に否定したが、その再現部でもあるBr.ソロにも全く同じ思いで最悪な体制を激しく拒絶させた。 anstimmenは大半の翻訳で使われている「歌を歌い出す」以外に、独語では「変える」と言う意味合いでも使われている。ここでは「変革する」以外の訳では彼の「第九」を通じた厳しい訴えは意味を成さず、シラーの詩の前に敢えてこれらの訴えを加えた意味を説明できない。
und freudenvollere・・・ Freude, Freude schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,
そうすれば、喜び溢れる(理想郷に一緒に到達でき)。(我歌い示さん、共に唱和せよFreude)。 (この上なき)歓喜よ! お前は神々が(星々のように)きらめくが如き無上の喜びであり、(まるで)理想郷から生れ出た乙女のように無垢なる至福の喜びだ!
完成前の下書譜には、Br.独唱の最後の旋律(85小節~)と共に“我歌い示さん~”の歌詞が書かれ、自由平等の世に変革した後、その喜び“Freude”をBr.独唱に続き合唱にも歌わせ、シラーの世界に続けた Freudeは、独語では単なる歓喜ではなくもっとずっと強い至福の喜びを表す。schöner以降は比喩として書かれており、それらは最終的に皆Freudeに対する修飾語的に用いられている。複数形で書かれた神は明らかにキリスト教以外の他の神々を意味し、Elysium(理想郷)もキリスト教ではなく、ギリシャ神話の中での聖域のことを意味する。
Wir betreten feuertrunken Himmlische dein Heiligtum! Deine Zauber
私たちは恍惚の境地で(嬉々として)、この素晴らしい歓喜に満ちた聖域(理想郷)に足を踏み入れる。 歓喜の持てる魔力によって
左記の如くここのdeinもキリスト教の神を示す(あなた)ではなく、この詩の中心なる語“Freude”の事を指し、“歓喜の場所(Heiligtum・理想郷・聖域)”の意になる。すなわち“酔いしれて天なるあなたの(神の)御許に足を踏み入れる”は誤りであり、ベートーヴェンが求める至福に満ちた理想郷に向け足を踏み入れよう!と持ち掛けているのである。 ここでもキリスト教の神の魔力ではなく“至福の歓喜”の魔力
binden wider, was die Mode streng geteilt Alle Menschen werden Brüder wo dein sanfter Flügel weilt.
時流が厳しく分断した(自由を奪い、非人間的差別世界等になってしまった)世を再び結び付け(た結果)、 歓喜の優しい影響力(翼)の下で、全ての人々はみな兄弟(平等)になる。
当時歴然と存在した身分制度,人種差別,性差別によって完全に分断され、多くの人々に多大な苦難を生じさせていた絶望的社会制度を、“至福の歓喜”には打ち破る力があると説く。 ここでも、勿論deinは歓喜を指しており、“神の優しい翼の下”ではない。
Wem der grosse Wurf gelungen, eines Freundes Freund zu sein… Wer ein holdes Weib errungen, mische seinen Jubel ein!
大きな幸いを得た人、すなわち誰かの真なる友であることや、 素晴らしい女性の愛を射止めることが出来た人は、その歓喜を共にしよう。
上記“誰かの友である”とは、“幸せを友に与える”ことでもあり、それにより良い業が生まれることを意味する。
Ja! wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrunt! und wer's nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund!
そうだ、この世でただ一人だけでも心を分かち合える(命を預け合える・助け合える)人がいると言える者も(喜びを共にしよう)、 そして、そう言う人達を(どうしても)得ようと(する努力を)しなかった(得られなかった)者は、彼らの絆から泣く泣く立ち去って行くがよい。
(あるいは)誰か一人だけでも、その人の人生に良い影響を与え、(その人の)人生を好転させることが出来るならば(喜ぶべきである) 人に対して何も手助けをしようとしない(nie)者は、人の絆から・・・。ベートーヴェンは楽譜上のnieに対し常にsfを付け強調しており(どうしても~しようとしない)となる。
Freude trinken alle Wesen an den Brüsten der Natur; Alle Guten,alle Bösen folgen ihrer Rosespur.
生きとし生けるものは、自然の恵から喜び(生活に必要な物・食)を与えられ、 (同様に)すべての善人も悪人も(すべての人は平等に)茨の道(の試練)をたどる。
赤ん坊が母乳を飲み育っていくように、人間は自然に何らお返しをすることなくこれらの恵みを享受している。ここのtrinken;(生きるために必要なものを)享受する (左記と合わせて)全ての人は、自然から恵みと試練を与えられる
Kϋsse gab sie uns und Reben,Einen Freund geprüft im Tod! Wollust ward dem Wurm gegeben,und der Cherb steht vor Gott.
(自然は)癒し(Kϋsse)や繁栄(Reben)と、死の試練を経た(《魔笛》同様のフリーメンソン的)友を与えた。 最下層の人にも(等しく)快楽は与えられるが(それに溺れず乗り越えれば)、(ギリシャ神話の天使)ケルプでも(本来の身分を超え)神の前に立てる⇒成功者に成れる
Rebenはブドウの樹の事であり、それは茨の樹と同様違う種を接ぎ木することにより新しい種を生む。つまり枝木1本あれば植栽接ぎ木して新たな畑を作れる⇒子孫繁栄の象徴 ケルプ;ギリシャ神話の智の天使;神殿入口の警護役等。最下層に生まれても努力次第で最上級層にもなれるという自由主義者としての最重要主張を叫び、合唱の頂点を迎える
Froh,wie seine Sonnen fliegen durch des Himmels prächt'gen Plan, Laufet,Brüder, eure Bahn, Freudig,wie ein Held zum Siegen.
歓喜した太陽たちが、天の素晴らしい計画に従って喜ばしく飛び廻るように、 走れ、兄弟たちよ、自らの軌道を歓びに満ち、勝利を得た英雄のように。
太陽は複数形で書かれており、ここもキリスト教ではなくギリシャの天文学に基いている 止まらず,諦めず,星達の様に定まった軌道を一直線に走れ。(理想郷はもうすぐだ!)
Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuss der ganzen Wert! Brüder! überm Sternenzelt muss ein lieber Vater wohnen.
抱かせよ、諸人よ! この口づけを全世界に! 兄弟達よ!この星空の上に、愛する父が住んでいらっしゃるに違ない。
人類の中の善も悪も差別せず、心を全開にした状態で、愛を分かち合おう ここで初めてキリスト教的とも採れるVater(父)が単数で書かれている。人類はみな同じ父の元から来たのだからこそ、差別なく皆で助け合っていこう
Ihr stürzt nieder, Millionen? Ahnest du den Schöpfer, Welt? Sucht ihn über'm Sternenzelt! Uber Sternen muss er wohnen.
転げ落ちる(事を望む)のか(ひれ伏すか)諸人よ?創造者を感じるか、世界(の創造物)よ? 星空の上に父を求めよ!必ずや星々の上にその方は住み給う。
弱い人間に対し、人生転げ落ち諦めてしまっても良いのか!と愛をもって諭している
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