216~ 236 |
バリトン(Br.)の最初のソロ
“O Freunde nicht diese Töne~” |
誰しもが固唾を呑んで注目する、バリトン(Br.)の第一声“O Freunde・・・・”以降の正しい翻訳は、上記である! それに対して、すべての翻訳書(合唱譜を含む)に書かれている世紀の大誤訳!は下記である。 *sondern last uns angenehmere anstimmen;そうではなく、もっと心地よい歌を歌い出そう。 ⇒正解;そう(そんな悪政)ではなく、もっと好ましい(自由平等の)世の中に変革していこう(ではないか!) *anstimmenは、辞書で1番目に出て来る訳は“歌い(演奏し)始める”だが、2番目の訳は全く別の意味で、独英辞典によると英語ではprotest、すなわち;主張する、表明する、抗議する、異議を申し立てる等であり、それらの意味から⇒変える、変革する、と訳すことが出来る。ドイツ人研究者によると、ドイツでは日常“変える”という意味でよく使われている言葉であるとのこと。(日本で出版されている日独辞典は、どの出版社のものも編纂ミスにより、1番目の訳しか載っていない。しかし他の国の辞書、例えば独英辞典を引いてみると2番目の訳として上記が載っている。) *ベートーフェンが、この場面でanstimmenを1番目の訳と2番目の訳のどちらの意味で使ったかは、その前後の脈絡、すなわち4楽章冒頭からBr.のレシタティーヴォ(Rec.)の第一声まで(1~216小節)の流れを調べてみれば一目瞭然である。第①章で私は、リベラルなベートーフェンがこの4楽章の中で、ウィーン会議(1814~)後の旧特権階級による極端な封建制度の急激な復権(当時の世界史上にも合致する)を、せめて音楽の上だけでも阻止せんがため、4楽章冒頭部から、そのために考案された特殊な形態のファンファーレ(Fan.)やRec.に、復権阻止のための強いメッセージを込め、強烈に速いテンポでその復権(の象徴を)の殲滅を試みる等、作曲家として可能な限りの訴えを続けていたことに何度も触れてきた。 *続くBr.のRec.による第一節(O Freunde nicht diese Töne)でも、曲頭のチェロ・バスによるRec.の演奏のさせ方と全く同じく、その最悪な封建制度の復権を、Fan.と同じ速いテンポ(Presto)のまま、まずBr.独唱で厳しく拒絶させ、続く第二節(sondern lasst uns angenehmere anstimmen)では、落ち着いたテンポに戻り“そんな世の中ではなく、自由平等のより良い世の中に改善していこうではないか!”と堂々と呼びかけさせた。しかしその際使われた最重要単語anstimmenの、今までの訳し方には致命的な誤りがあり、そのため「第九」を貫く彼の上記最重要の願いは葬り去られ、誰からも理解されなくなって現在に至っている。その誤りが起こった原因を以下で明らかにする。 ①辞書の最初に出て来る訳し方“歌い出す”の代わりに、2番目に出て来る上記“変える”を用いて意訳すると、第二節と第三節は“そう(最悪になってしまった世の中)ではなく、より(自由平等で)暮らしやすい(世の中に)変革(改善)したならば”“喜びに満ち満ちた(世界に)(und freudenvollere・・・)”という、リベラルなメッセージが誰にも解り易い言葉で、ストレートに伝わって来る。そして4楽章冒頭からそこまでの全216小節にちりばめられた、Fan.やRec.を駆使したそれらのメッセージも、前述したとおり、すべてその最悪な封建制度になってしまった世の中の体制のままではいけない!何としても“変革しなくては!”との強い願いが基で書かれており、そのメッセージとanstimmen(変革しよう)との意味合いが、ことごとく合致していることが判る。 ②これに対し、今まで訳されてきた辞書の最初に書いてある“(より好ましい歌を)歌い出そう”を正しい訳であるとするならば、4楽章前半部を総括して民衆に呼び掛けている重要な提案が、“変革しよう”ではなく、その“歌い出そう”であることになる。その言葉と、(1)彼が必死の思いで言わんとした、楽章冒頭からのあのような特殊な形態(Fan.やRec.等)による厳しい音楽とが、どう結びつくというのだろう。(2)そして、その特殊形態によるフレーズが各々何を主張しており、かつ(3)有名なBr.のRec.(216小節~)の場面では、突然“何の調べ(Töne)を、何故厳しく否定しなければならないのか”との問いに対し、それらの疑問とは何らの関わり合いもない“もっと快い歌を歌い出す”ため、と答えても、満足いく答えには成り得ない!。つまりこれらの問題点がすべて解決する訳し方である“変革する”に対し、全ての問題点に当てはまらない“歌い出そう”は、“誤訳”と言う以外、表現のしようがない。この悲劇的誤訳が起きてしまった理由は只一つ、“今まで多くの人が、楽章冒頭部のFan.やRec.から始まる幾種かの重要メッセージの意味合いを理解し得ない(しようとしない?)まま、つまりanstimmenが使われるまでの、楽章冒頭からの脈絡が理解できていないままこの言葉を訳そうとしたこと”、それに尽きるのである。しかし、例え意味不明であろうとも翻訳の義務を負ったものは、“歌に関する場面でもあり、しかも辞書の先頭に書いてあるから”という程度の理由により、“歌い出そう”を採択するしか他に術がなかったのだろう。その後も多くの人が、意味不明なままそれに追随して来た。 今まで曲頭からの216小節間に、彼が強い政治的メッセージを発していたという事実は、21世紀近くになるまで、まだ世界で広くは認知されていなかった。そのため、彼のリベラルなメッセージに緊密に関連している、2番目に書かれてある“変える”を、翻訳の選択肢として考慮するところまでは、誰も考え及ばなかったのだろう(特に日本では、日独辞典に誤って最初の訳し方しか載っていないこともあり)。このような状況下で苦し紛れに選択してきた“歌い出す”は、上記の如く曲頭からのベートーフェンの全ての重要メッセージと噛み合わず、結果としてベートーフェンの重要なメッセージをも崩壊せしめる、正に世紀の大誤訳!であったと言えるのである。 *また彼には、この“(最悪になってしまった世の中を)より良く変革していこう”という強靭な意志を貫き通してからではないと、すなわち彼の理想とは正反対の、当時の最悪な封建制度の渦中では、どうしても神聖なるシラーの詩には踏み込めない、つまりシラーと共に理想郷に到達できる環境ではない!という強い思いがあったのだろう。だからこそ、彼はメインのシラーの詩が始まる前に、是が非でも自分のリベラルな主張を取り込み(lasst uns angenehmere anstimmen)、それにより当時の彼を取り巻く政治環境の“悪”を、少なくても音楽上だけででも浄化した上で、シラーの詩に向かおうとして、前代未聞の、楽譜上への自らの主張の割り込みを試みたと考えられる。そこで、見事に“(自由で平等な)より(暮らしやすい)世の中に変革出来た”暁に、初めてシラーの詩の中に喜びに満ち満ちて(freudenvolere)踏み込み、共に理想郷に近づいていくことができる、という設計を立てたと考えると全てに合点がいく。 |
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【Br.独唱部分の、ベートーフェンの意図に沿った分析と正しい翻訳】 4楽章冒頭部と全く同じ“世の中の(最悪なる)絶望的(政治)事象”を再現した“絶望(恐怖)のFan.(208~)”。直後にその絶望的政治の流れを厳しく拒絶するBr.のRec.。その構成は、以下のとおり7小節ずつ3つの部分に分けられている。・第一節(216~)(O Freunde nicht diese Töne);同じ冒頭のFan.の直後のRec.(9小節)に付けられた“ベートーフェンのテンポの注意書き”がここでも生きており、直前のその‛絶望のFan.’と全く同じPrestoの猛烈に速いテンポ(付点2分音符=66)のままのRec.により、きっぱりと“お~友よ、こんな(汚い)響き(絶望的封建社会の世の中)であってはならない(拒絶しよう)!”と怒りと憎しみを持って厳しく拒絶し切り、第二節に繋ぎ、 ・第二節(224~)(sondern last uns angenehmere anstimmen);4楽章の冒頭からこのBr.のRec.の第一節まで、ベートーフェンが一貫して要求してきた大変速いPrestoのテンポと厳しい歌い方の義務を、ここで初めて解除する印として、colla voce (独唱者の自由なテンポに沿って)が、総譜上に(合唱譜にも)初めて記載された(次ページ下段参照)。その指示に従って、第一節目までの厳しいテンポによる怒りと拒絶の雰囲気をガラリと変え、ゆったりと、より説得力ある落ち着いた歌い方に替え、“そうではなく(直前のFan.に象徴される最悪な封建政治がはびこる世の中ではなく)、もっと快い(自由・平等・友愛に溢れた?)社会に変革し(anstimmen)ようではないか”と民衆に訴えかけ、それを受けて ・第三節(231~)(und freudenfollere)のRec.の主張では、“そうしたら(und)(良い世の中になったら)、喜び溢れる(自由/平等/友愛の至福の世界が・・・・)(Freude!)”と、如何にもリベラル(自由主義者)ならではの主張と理想を展開している。その際Br.によって歌われる最後の一連の旋律(朗誦)は、前章でも述べたように、4楽章冒頭6番目のRec.(81~)の後半のチェロ・バスの旋律そのものであり、それは本格的に「第九」の作曲を開始する(1823年秋?)数年前に、すでに準備していたものであった【表ー1】。しかもその事前準備していた旋律には、元々歌詞(私が歌い示さん、唱和せよ)が付けられており、本編のこの箇所には、その歌詞はないものの、あたかもその事前準備の旋律と歌詞が蘇ったが如く、Br.のRec.終了後、続いてその歌詞の指示どおり、本編(238~)の(私;呼びかけ)Freude!(民衆;それに対する唱和)Freude!に休みなく続き、そのままシラーの詩に繋がっていくよう、とてもよく考えられている。 |
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【結論】 つまり、この第一節(217~)におけるBr.の歌唱評価は、その朗々たる美声ではなく、Rec.を、Prestoの指示のままの猛烈に速いテンポと勢いで“絶望の世の中”を、如何にきっぱりと拒絶出来るかであり、続く第二節(224~)と第三節(231~)では、雰囲気(テンポも)をガラッと変え、説得力を持った歌い方で“絶望の世の中”をより暮らしやすく変革(改善)しよう!と、民衆に如何に上手く呼びかけられるか。そしてその成就の暁には(und)喜びに満ち溢れて(freudenvollere)(自由平等の理想郷へ)・・・)”と、その歌唱を希望に溢れる雰囲気に変化させ、その喜びを如何に上手く聴き手に伝え、大合唱に導いていけるか!それが勝負の分かれ目なのである。言い換えれば、ベートーフェンの用意周到なストーリーを十分に理解した上で、第一節、第二節、第三節の彼の主張に応じて声の色もテンポも、そして大衆(合唱)への呼びかけ方も上手く変化させていかなくてはならないのである。その妙味と説得力こそが、このBr.独唱の真価が問われるべきところである!すなわち、Br.独唱者は、ベートーフェンの強烈なる意思の伝道師(エヴァンゲリスト)なのであり、この一連のRec.終了後、いよいよ長大なシラー作、ベートーフェン編作による“歓喜の歌”が始まる。そしてその段階に至ったところで、Br.独唱者は初めてその厳しい役目から解放され、通常の4人の独唱者の一人になるのである。 |
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【上記分析に対する解説】 前章で詳細に説明したが、「第九」作曲上の根底には、ベートーフェンの人類に対する自由平等の思想、いわゆるリベラルな自由主義思想が大きく関係している。しかし初演以来二百年近く、「第九」演奏に関する分析でこの本質に触れた論文は何故か稀有であり、歴史的に著名な研究者の間ですら、理解不能のまま苦し紛れに、4楽章冒頭のFan.は1~3楽章のことをを示している云々など、全く的外れな内容を真面目に論議する等、その分析の水準は極めて低かったと言わざるを得ない。その後21世紀近くになって、ようやく彼の政治思想等が4楽章の構成上きわめて重要な位置を占めているとする研究が世に出るようになり、それを考慮せずして「第九」を語ることが出来ない、すなわち「第九」を真に理解する上に不可避な重要史実(要素)であることが明らかになってきた。私のこれまでの説明も、結果としてその路線上にある。すなわち今迄多くの演奏家は、この本質を真には理解し得ないまま、結果として、自らの感情に赴くままのベートーフェン無視の演奏をするか、又は著名な先人の演奏を根拠なく拠り所にするしかなかったのである。それ故、4楽章冒頭のFan.では、当時の政治の急速な悪化を憎々しく表すための強烈に速いテンポ(付点2分音符=66)で“汚さ”を表現することが必須であるにも拘らず、かなり多くの指揮者が、その意味(必然性)を理解しないまま、テンポは指揮者の自由であるとばかりに1小節を3拍に分け、結果として指定よりかなり遅いテンポで、ベートーフェンがこのFan.に託した意図とは真逆な演奏をしてきた。また、何度も触れたが、次からのチェロとバスによる拒絶のRec.は“絶対に上記のテンポを保って(少しでも遅くなっては悪の象徴であるそのFan.を拒絶できない)”という彼の切実な注意書きの意味が理解出来ないがため、オペラのRec.のようにゆったりと演奏する等、彼の意図さえ真に理解出来ていれば絶対に採れないであろう演奏法が、彼の死後200年に亘り多く採り続けられてきた。 Br.のRec.(O Freunde・・・・)も、4楽章冒頭の一種の再現部分であるため、冒頭部のチェロとバスに代わり、楽章冒頭9小節に彼が書いた総譜上への注意書き通り、直前の“絶望のFan.”を、今度はBr.独唱一人で、“猛烈に速いテンポのRec.”として憎々しく拒絶しなければならない。ところが、Br.独唱者の中には、4楽章冒頭部分が、まだ自分の出番ではない(自分には関係ない)と思い込み、Fan.やチェロ・バスによるRec.の成り立ちや、楽譜を研究したことすらない人が多く存在するのである。 |
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この勉強不足の状態では、この曲の本質に気付く道理もない。 冒頭のチェロとバスによるRec.も、楽譜上では正式に敢えてRec.とは書いてないが、ベートーフェンは、既に何度もコメントしたとおり、注意書きには“そのRec.”と書き、“冒頭のテンポで”との注意書きは、Prestoでの演奏を意味している。 同様に、Br.のRec.の譜面上にも、その小節には敢えてPrestoと念押しはしていないが、冒頭部と同じ場面であり、冒頭部で注意書きされたとおり、そのRec.はPrestoのまま、物凄く速いテンポで歌わせるつもりでいたことは明らかである。それを証明するかのように、第2節のテンポ指示として、彼はcolla voceと書き、ここで初めてPrestoの縛りを解き、Br.の自由なテンポを推奨したのである。 今までは、大半のBr.がその重要な意味合いを理解出来ずに、第1節の“O Freude・・・”の第一声から、ベートーフェンに逆らおうなどという意識は微塵もないまま、結果として彼の意思に完璧に逆らい、無意識の内に第一声からcolla voceにしてしまい、何を歌っているのか分からないまま、天真爛漫!?に朗々と美声を響かせてきたのである。その歌い方は、冒頭のチェロとバスが今まで誤ってゆったりと演奏してきたのと同種の過ちであり、本来の厳しい拒絶の義務があることに気付かないまま、拒絶どころか許容したかのような朗々たるものであった。 しかし、それを既述のように、世界史上でも有名な出来事にも関連した、彼のたっての願い(最悪なる当時の政治の流れを拒絶して、自由平等の理想的世界に戻していく願いを、この曲に組み込む等)を成就するために、4楽章が最初から綿密に構成されていた、という観点から顧みると、今まで多くの人達により、意味が理解されないまま見逃されてきたあまたの事象が、Rec.に当初付けられていた歌詞(主張)や、彼が敢えて総譜に書いた種々の注意書き等を、十分に精査することによりにより、本当は曲中に明快な答えを示してくれていたことに気付く。 |
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注;4楽章の冒頭部にある3番目のRec.(38~)からの1~3楽章を否定するRec.部は、既述したように、全4楽章を関連付けるため敢えて付け加えられた意味合いが強く、このBr.によるRec.の再現部分では、4楽章の本筋とは無関係である故、ベートーフェンはそれら3箇所のRec.に関する再現は省略している。 | |
★誤解を誘発してきた、Br.独唱開始部(216小節)のRec.表示! (出版社が気を利かせて?勝手に書いてしまった?) 全出版譜に共通の、今迄多くの演奏者達を勘違いさせてきた、Br.独唱の開始部(216小節)の総譜に大きく付けられたRec.表示は、今も尚、誰からも問題視されないまま、すべての出版社の総譜や合唱譜に放置されている。そのため4楽章冒頭のRec.部分(チェロとバス)を、多くの演奏家が何を主張しているのか理解できないまま、“Prestoのままのテンポで”というベートーフェンの注意書きを無視して遅く演奏してきたように、このBr.のRec.部分も、大半の独唱者や指揮者は、歌詞の真の意味が理解出来ないまま、このRec.表示を大義名分に、あたかも“オペラのRec.の如くテンポを落として朗々と美声を聴かせる”ために書かれたRec.表示であると思い込み、ベートーフェンの意図に反し、突然テンポを落として朗々と歌ってきた。しかしベートーフェン本人はこの部分に一度もRec.とは書いていない! それは自筆譜を見ても、また後にも記述するが、初版出版の一ヶ月後(1826年9月末)、すなわち彼が亡くなる半年前にWilhelmⅢ世に報酬目当てでこの曲を献呈する際、そのために新たに総譜が写譜されたが、それにも初めからRec.とは書かれていない。しかもその献呈譜に、彼は何箇所も最後の修正を書き込んだが、勿論その総譜にRec.と書き加えることはなく、当然そこでテンポを落として演奏されることになるとは夢にも思っていなかったろう。百歩譲って総譜216小節のBr.独唱の冒頭“O Freunde ・・・”に印刷されている“Rec.”の文字がベートーフェンの意思であったとしても、そのRec.の意味合いは、冒頭部のチェロとバスに主張させたRec.と全く同じ、絶望的旧封建制度の急激な復権に対する強い拒絶のRec.であり、ここでもベートーフェンの注意書き(総譜の9小節)通り、快速なPrestoのまま歌うRec.のことであることは明白である。この構造設計を、独唱者も指揮者もしっかりと理解しておかなければ、今迄のように誤って朗々と響かせることにより、結果としてその憎き封建体制を拒絶どころか、あたかも賛美しているかのような印象を聴く者に与えてしまう。その結果、彼が人生最後の望みをかけて創り上げた「第九」の重要な、リベラル的思想に満ち満ちたストーリーは消え去り、今までのような、単なる大規模なお祭り騒ぎのカンタータが、未来永劫続いていくことになるのである。 参考;現在市販の総譜には何故か載せられていないが、1827年秋のショット社の初版総譜の第2稿(この稿に初めてメトロノームの数字が書き込まれた)には、このBr.のRec.の第二節(sondern lasst uns・・・・)開始部分の小節(224小節)に、colla voce(独唱者の自由なテンポに従って)に加え、Br.独唱用として初めて Rec.の指示までもが、丁寧にオーケストラの全パートに欠かさず書かれており、敢えてここからオペラのRec.のように、Br.の好きなテンポ(colla voce)によるRec.として、肯定的に世の変革を主張させようとしていることが判る。現時点で、ベートーフェンが望んだRec.の位置が、第一節(216小節)だったのか、第二節(224小節)だったのか不明であるが、それがどちらであったとしても、Br.の第一声はPrestoで歌わなければならないことは自明である。 今までの、多くの誤った歌い方のように、Br.独唱の第一節(O Freude…)目から厳しさのない自由なテンポ(colla voce)で,テンポをやや落として朗々と歌わせることを彼が意図していたのなら、この第二節に新しく初めて書かれたcolla voceやRec.が、何の目的で敢えてここに初めて書かれたのか説明がつかない! (注)ここで触れた、“WilhelmⅢ世への献呈稿”や、1827年秋出版のショット社による初版第2稿(初めてのメトロノーム数字付(3・4楽章のみ))は、ベート-フェンの最終意思を調べる上に大変重要な資料である故、私のホームページから全ページが誰にでもダウンロードできるようにしてある。長大なる頁数であるが、指揮者や研究熱心な方は是非ご覧いただきたい。 |
©Akira Naito
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