マエストロの独り言 ─ Blog

「東京ニューシティ管弦楽団」の名称が、2022年4月1日付で「パシフィック フィルハーモニア 東京」に替わります。(東京ニューシティ管弦楽団の経営危機に伴う、経営権譲渡につきましてのお知らせ)

東京ニューシティ管弦楽団は、1990年4月に「ニューシティ管弦楽団」の名称で創立(前身の楽団は1987年に活動開始)されて以来、三十余年経ちます。思い返しますと、創立20年目(東北大震災直前)頃が活動のピークで、年間百数十回にも及ぶ公演数は、多くの先輩オーケストラをも凌ぎ、日本のオーケストラの中でも片手に入るほどの勢いとなり、その頃の活動内容(定期演奏会における、ラディカルな研究内容等)が当時の文化庁やメディアに高く評価されるようになりました。

それもあってか、まだ日本オーケストラ連盟の正会員になる以前に、文化庁の支援による海外公演に2年連続採択される等、他の先輩楽団のような、各自治体や企業からの多額の援助金には恵まれなかったものの、新興楽団として注目を浴びながら、活き活きと活動をしておりました。

また、数ある楽団の中で毎年百余公演、当団に出演依頼をして下さった多くのお取引先の皆様や、各公演に来られたお客様からも大変好評を戴きましたこと、当団としても大変ありがたく、心より感謝しております。

しかし反面、私内藤が音楽監督をやりつつ、経営能力も無いまま経営面も形式としてはトップにいるという、他に例を見ない特異な楽団の形態が長く続いてきたことに対し(他に特段批判される材料の無い?当団に対して)、格好の批判材料となり、それが多方面で独り歩き始めました。私自身がそういった言われなき批判に辟易とし始めたのも、この絶頂期頃からでした。

その頃あの東北の大震災が起こり、当団が、当時日本で一番多く海外のバレエ団の伴奏を受け持っていた(50~70公演/年)ことが裏目に出て、東京電力のあの問題で、全ての海外絡みの公演がキャンセルになった煽りを受け、しかも天災に絡んだ原因の場合はキャンセル料等の保証が無い、という業界の通例のため、創立20年目にして初めて2000万円を超える大きな赤字を被りました。

そしてその後、幸か不幸か経営権を譲るなら、その赤字の面倒を見ても良いという誘いがあり、震災の関係で大きく仕事数を減らしていた当団としては、背に腹はかえられず、代表理事のポストを他人に渡したことも2度ありましたが、その度に楽員からの新体制等に絡んだブーイングや、期待外れの経済的援助等々により、どちらも1~2年で崩壊しました。

また私自身、代表理事を降りたことにかまけて、好きな音楽上の研究に時間を割き、他人に譲ったとして、営業等楽団の経営に関わる重要な活動をかまけていたこと等々により、仕事が激減しました。ここ数年、依頼公演数はかつてのⅠ/3~1/4に減っており、当然それが楽団の経営を直撃しました。

元々オーケストラの経営を外からの援助金無しでやることは不可能なことであり、いわゆる自主オケと言われる、特定の大スポンサーを持たない日本の多くの楽団でも、平均年間3~4億円を様々な形で、自分たちの公演収入以外に援助してもらっています(オーケストラ連盟の調べ)。

ところが、資金集めが不得手な私が援助金集めが出来ないまま活動してきたため(文化庁からのお涙金等で年間数百~一千万円位頂いただけ)、他の自主オーケストラと比べると、創立以来30年の積算で掛け算しますと、援助金だけでも100億円近い差ができていました。

それを何とかしようとやってきたところに無理があり、急激に仕事数が減ってきた数年前からは、代表理事を離れ、経営責任がなくなったはずの私内藤が、創立者として、私の個人保証等により金融機関等から多額の借金をして凌ぐしかございませんでした。3年前にはその金額は、一般の個人保証としての限界を遥かに超える1億数千万円に膨れ上がりました。

その頃には、さすがの私も指揮や研究云々などと言っておられず、数年かけて懸命にスポンサー探しをやりましたが、簡単に見つかるものではなく、何人もの大会社の社長や会長との話が進み始めては壊れる等を繰り返していました。そして今から3年前(2019年5月)に、ようやく現在の代表理事日野洋一氏に巡り会え(日野氏との最初の交渉は、人づてにさらに1年半前にさかのぼります)、その後はトントン拍子に話が進みました。

日野氏は30社近い会社を経営していらっしゃる青年実業家で、元々ご自身の経営されていらっしゃるチェーン店以外に、多くの企業をご自分のグループ会社として再生させ、経営されるようになったとのことで、氏からするとニューシティ管弦楽団もその中の一つであったのでしょう。

異なる点は、経営するどの会社も、グループとして利益を出すために邁進されているのに対し、当団の場合は、“楽団経営は必ず赤字になる”ということをご理解下さった上で、今後も毎年莫大なる出費を覚悟して下さり、ご援助下さっておられる(私の推測ですが)ことでしょうか(当初は経営さえうまくやれば必ず黒くなると言っておられましたが)。

そして日野氏との3年近く前の話し合いでは、私が個人保証している楽団の負債の多くを返済してくださることと、今後も発生するであろう毎年の大きな赤字分を補填して下さるという、心強いお言葉を頂きました。 私はそのお言葉を伺い、氏に全ての権限を持った代表理事になって頂くことをお願いしました。

それは、そこまでの赤字を生じさせた責任を取り、私は経営からも音楽面からも、すべての立場を退き、当団は日野理事長の経営する企業体の一つとなること、すなわちいわゆる“経営譲渡”をすることを意味します。

そして3年近く経ち、その間に理事長は多くのブレーンを新規に呼び寄せられ、昨年9月の記者会見で発表されたような、彼の新体制を創り上げられました。すなわち本年4月からは、楽団の名称までも変更し、心機一転すべてを一新され、新しく出発されることになりました。

3年前、ゼロから準備し始め、ご自分の不案内な分野で、立派な新体制を発表されたことは驚愕に値します。勿論当初の約束通り、私が個人保証している楽団の負債は、楽団として毎月返済を続けてくださり、2年半近くで負債額は半分近くに減りました。感謝感謝でございます。

そして、4月から音楽監督に飯森範親氏を迎え、楽団の音楽面での方向性は、全て彼の考えによることになります。この体制が公に発表されてから半年たちましたが、その間、事情がお分かりにならなかった多くの方々から、たくさんのご質問や、私に対する励まし等を頂きました。心より感謝いたします。

4月からの新楽団における私の肩書は「創立指揮者」になります。そして日野理事長はその肩書の私を、今後も尊重してくださるとおっしゃっていらっしゃいます。

私は今後楽団のメインの方向性には関わりませんが、定期演奏会以外では年に何度か指揮していくことには変わりはございません。今後は私が楽団の表に出ないまでも、往時の半分以下に減っている仕事数や定期演奏会における観客数を、徐々に増やしていくこと等、指揮以外でもそれなりに、今までの私の実績を生かした縁の下の力持ちとしての役を果たしていく所存でおります。

新理事長が多くの負債を返済して下さっていますが、まだまだ私の責任で何がしかの返済する義務は負っています。また、今まで私と懇意にして下さった方々の中には、経営面の理由とは言え、私がすべてのポストを降りたことに対し、気を使ってくださる方もいらっしゃいます。

しかし好きなことを30年以上思い通りやらせてもらい、三大新聞はじめ、「音楽の友」誌他多くのメディアで、私の指揮者としての活動等を今まで述べ三十回以上、それぞれ特集として取り上げて頂き(昨年も「音楽の友」誌では、3月号と6月号で、計 まる5頁特集されました)、指揮者冥利に尽きると自分では思っています。

私は幸いニューシティ管弦楽団より2年早く創立しましたプロ合唱団「東京合唱協会」の活動も続けており、本年度(令和4年度)は文化庁からの依頼の公演数だけでも30公演近くなり、他の知名度の高い合唱団と比べても、ダントツの公演数を頂き、今後始まる文化庁関連の新規の事業等に対する当団への期待もひしひしと感じております。

今後は、指揮者としての活動の他に、今までの東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会で行なってきた、“超有名曲に対する楽譜の、作曲家の意図に沿った修正や、誤った伝統的演奏の修正等”、海外の専門誌でも取り上げられてきた成果を、CDやDVD他書物として、僭越ながら後世に伝えるための業務(雑用?)が目白押しです。今年の秋には、後期高齢者になりますが、健康には気を付けながら頑張ってまいる所存でおります。

皆様には相も変わらずご面倒をおかけし、お世話になりますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

2022年3月31日

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名古屋大学グリーンハーモニー・クロージングコンサート(2022年2月6日)

2022年2月6日(日)2時開演で、愛知県豊田市コンサートホール(名古屋市の中心部より地下鉄直結で約1時間)と言う、素晴らしいホールで、私が青春時代に自らが創立に関わり、学生生活のほとんどを注ぎ込んだ、「名古屋大学グリーンハーモニー」55年の歴史の幕を閉じる“クロージングコンサート”が行われました。

このコンサートは、22歳~74歳まで、かつてこの合唱団で青春を謳歌したOV(old voice)達約100名が全国から集い、クロージングを惜しみ、また何十年かぶりの出会いを喜び、コロナ禍の最悪な練習条件の中、計8回?の練習を重ねて、行われました。

現在、猛威を振るっている“コロナ”のため、全世界が様々な被害を受け、多くの命が奪われ、仕事を失い、無数の中小の企業がクロージングの憂き目に会い、わが国有数の大企業すらその基盤が脅かされています。

学生たちの授業も真っ当には行われず、ましてや課外活動に対する制限により、学生たちの自由闊達な日常も、その多くが失われました。その一つとして、我がグリーンハーモニーも巻き込まれてしまいました。

添付で付けました当日のプログラムに載せました、「合唱団の創立当時の思い出」に書いてある事情で、グリーンは、男声は名大生に限られていたものの、女声は創立当時名大の女子の割合が1割にも満たなかったため、他大学からの応援で成り立っていました。その後半世紀、無事に存続し、卒団生もおそらく千人にもなるでしょう。団内で結婚されたカップルも何組かいらっしゃり、また卒団後皆さん真っ当な生活を送って来られた中で、今も合唱活動を続けている方もたくさんおられます。

ところがこのコロナ禍で、2年前は、合唱活動そのものが禁止され、4月に新入生勧誘をしたとしても、一度も合唱練習が出来ない状況では、特に女声部を他大学からの協力に頼っていた合唱団としては、メンバーを確保することが難しくなり、とうとう新入生がほぼゼロ状態になってしまったそうで、コロナの発生から1年経った昨年今頃の、少人数による定期公演を最後に、グリーンのクロージングと言う苦渋の選択をせざるを得なかったそうです。

コロナが蔓延し始めたころは、こんなに長く続くとはだれも思っていなかったでしょう。まだまだこれからも当分の間同じ状況が続くとしたら、このクロージングの決断は、結果として的を得ていたのかもしれません。

 

ということで、今まで55年の歴史を振り返りながら・・・という、結果としては極めてアットホームな演奏会が開かれました。55年もの歳の差は、初期の人からすれば、孫の世代と一緒に歌うコンサートでもありました。

一年前に、この20~30年定期演奏会の案内だけになっていた、現在のOV会(OB会)から連絡があり、紆余曲折の末、最近20年近く客演指揮者としてお世話になっている方を中心に、歴代の学生指揮者の中で、現在も合唱の指導を行っている人達数人が、指揮者陣として参加し、さらには初代指揮者である私にも、創立者でもあるところから、白羽の矢が当たったというわけでした。

学生指揮者は各年代に一人ずついるわけで、計50人ぐらいいるはずですが、私の場合は、創立者であり、かつ現在棒で飯を食っているということもあり、他の学生指揮経験者とは親子以上歳の差があるのですが、私が開幕に懐かしき団歌を指揮し、そして第三部(メイン)の高田三郎作曲「水のいのち」という、現在の日本の合唱界で一番有名な名曲の前半を指揮することになりました。計5曲から成る組曲ですが、その第1曲「雨」と2曲目の「水たまり」の2曲です。そして最後の3曲は、長年客演指揮をして来られた中村貴志氏が振られました。

この私のホームページは、私自身たまにしか開かず、書き込みも何か月に一回だけという、極めて怠慢なページです。しかもメインは、東京ニューシティ管弦楽団を私が立ち上げて以来、30年間に亘る私の音楽監督時代に、定期演奏会で取り上げてきた曲の中から、新聞や専門雑誌等で何度も話題として取り上げられてきた、超有名曲の中で、世界で私だけが気が付き、今後私の没後も是非ともその主張が永遠に伝承され、結果としてその名曲が作曲者の意図に沿った本来あるべき姿で演奏されるようになる、という点で、世界のクラシック音楽界の更なる向上に寄与できればと、私が勝手に思い、その内容の伝承を目的とし、1年半前に開いたものです。今後その重要な根拠となる音源もこのページ上にYouTube等を介し、紹介していくつもりです。

そのため、ここに載せる記述の中心は、一般受けのしない、プロの楽団や合唱団との真剣勝負から生れ出た、極めて専門的な内容が大半なのですが(いずれ出版するつもりです)、今回はその中で、唯一アマチュアの団体である、名大グリーンハーモニーに関するコメントを、初めて載せることにしました。

私の理学から音楽への方向転換をする直接の要因でもあった合唱団だったので、是非載せたく、現在苦手なPCのキーと格闘しています。

そういう訳で、当初1年前にこの公演が計画された段階では、昨年2021年の6月ごろまでには、半世紀にわたる卒団生全員?に連絡し、参加者を募集し、楽譜の用意をして云々という、最近のP.C.やスマホ等最新兵器を駆使しての戦略が開始されました。学生時代は週2回ぐらいの練習で、最初に音取りをするところから始まった学生合唱団の練習ですが、そんなこと社会人になった者たちがやれるはずもなく、各パートの音取りをYouTubeに載せ、各人音取りをしてもらい、8月からは月に1~2回集まって練習することになっていました。

ところが強力な第5波の襲来でそれが不可能になり、これもコロナで急に注目されるようになったZoomを使ってのオンライン練習を8月、9月に行いました。私は東京でその画面を見ていただけですが、一生懸命準備して下さったスタッフには悪いのですが、PC画面に映った多くの小窓に映る皆さんの顔を拝見できたのは良かったのですが、合唱の練習に役に立ったのかな~って感じを受けました(ゴメンナサイ)。

そして10月に初めて名古屋の会場でディスタンスを思いっきり取っての練習でしたが、オンライン練習を経てきたとは言えども、事実上は初めての練習で、同じグリーンの卒団生と言えども50年の年齢差があれば、周りはほとんど知らない人ばかり。その時の練習風景がYouTube経由で、参加できなかった人のために毎回送られてきたのですが(これ自体凄い進化ですね!)、本当に申し訳ないのですが、正直それを聴いた(見た)瞬間がっくりしました。そりゃそうでしょうね。全曲をいっぺんに譜読みしたわけですから、いくらグリーンの卒団生とは言え、しょせん素人の集まりですから。判っちゃいるのですが、あと何回練習が有るかを逆算すると・・・・、それは絶望的な響きでした。

そして11月の分も送られてきて、12月の中旬の3回目も聴くと、そりゃ確かに進歩はしてきているけど、でも!と言う中で、12月26日の4回目の練習に、私の初練習がありました。それまでに、その送られてきた練習風景の中から、どうしても耐えられない(失礼)箇所については、細々と注意書きしたものを、スタッフにメールで送り、下見をしてくれる後輩に伝えました。それが功を奏したのか、練習時間は12時半ごろ?から5時ぐらいまで、結構長いのですが、私の指揮する曲は、3曲で10分にもならないので、割り当てられた練習時間も計1時間半ぐらいでした。でも、それまで送られてきたYouTubeで聴いていた悲惨な響きが、細かいことを言わなければ、見違えるほど良くなっており、何とかその後2回の練習を経て本番を迎えるにあたり、希望の光が見えたのです。勿論、その時が練習の初参加の人もおり、思いっきり間違った音程やリズムも聴こえてはきましたが(笑)。

そこで初めて、今回のクロージングコンサートのスタッフにもお会いしましたが、本当に皆さん献身的な働きで、ただただ頭の下がる思いでした。すでに書きましたように、今回の公演は、多くの元団員の指揮者が指揮をすることになっており、一人の客演を除くと皆名大卒で、本来音楽が専門ではないはずですが、私同様本職よりは合唱をやっていた方が、その中でも特に指揮をしていた方が遥かに幸せ!というオーラがみなぎっていました。中には途中で本職を辞めて合唱指揮で飯を食い始めた人もいました。どこの学生合唱団も学生オーケストラも10年か20年に一人ぐらいは、そういう輩が出て来るもので、我がグリーンにも私の後にそういう人が出てきても何ら不思議ではないのですが、やっぱりそういう“向こう見ず⁈”がいて、でも当然人生の勝算有っての転向組であり、頑張っているところを直接見て、昔の自分を見ているようで懐かしいやら頼もしいやらで・・・・・。

私も、学生時代は音大を出ていない、早稲田や九州大出身のプロの指揮者に名大交響楽団時代(23歳ごろから名大オケで学生指揮者をやったり、小さいときヴァイオリンをやっていた関係でビオラをやったりしていました)の客演指揮を通じ、色々その生きざまを直接伝授してもらった経験がありました。

「水のいのち」は、私がグリーンの第4回定期で学生指揮者として(本来年齢オバーではあったのですが、しかも名大オケの指揮者と掛け持ちしながらでした)全曲を指揮し、夢中になった曲ですが、今回の公演が終わった夜、東京生活を終え、名古屋に戻った第4~5期卒団の渡辺夫妻の経営する民泊に立ち寄り、そこでその24歳?の私の指揮する「水のいのち」を聴きました。結構良い出来でした。この曲は「東京合唱協会」を立ち上げた36年前の第1回定期でも取り上げ、作曲者である高田先生からも色々御進言戴いた曲でした。その頃と同じ解釈のところも、進化したところも有る、今回の名大グリーンハーモニーOVとの演奏でした。

もっとも本番前日の1曲10分だけ与えられた練習時間の中で、その前の練習では絶望的な所が一気に向上し、本番では奇跡的な演奏になったり! これも練習が少なすぎることを十分に知り尽くした、私を含むOV達の必死の思いがそうさせたのでしょう。

本当ならば、公演が終わった直ぐ後に、OV関係者が中心の打ち上げで、グリーンの老若男女が一堂に集まり、懐かしの歓談をするはずでしたが、ここでもオミクロン株の急襲のため、急遽お流れになってしまいました。しかも当日の名古屋は大雪も降り・・・・、まさに泣きっ面に蜂状態でしたが、それにもめげず参加した皆さん、また参加は出来なくてもその場に観客として居合わせた皆さん、皆一様にその場に居合わせたことに幸せと、感謝の気持ちでいっぱいでした・・・・・・・。

翌日早くもスタッフ(大野君を中心とする)からPDFで、おそらく参加者全員に送られてきたであろうアンケート用紙(90%を超す驚異的な回収率だったそうです)の執筆者の名前を見ると、この半世紀会ったことのない懐かしい名前がちらほら。私が知っている名前は、その大半が還暦越えの人達でしたが。オミクロンさえ急襲しなければ会えたのに・・・・。

もっとも、それ以前にコロナさえなければ、クロージングにならなかったのに(号泣)。しかし皮肉な言い方をすれば、コロナがなければ、50歳も年の差がある後輩たちと一緒に歌うことなど永遠に無かっただろうに。喜んでよいのか悲しむべきなのか・・・・。

オミクロンであまりおしゃべりできない中でも、お互いそれぞれの時代の共通する話題を、寸暇を惜しんで小声で歓談する姿があちらこちらで・・・・。

懐かしむ涙か、これでクローズされる我らがグリーンに対する惜別の情から出づる涙か、あちらこちらでちらほらと・・・・。

私にとっても、とても懐かしい、そしてほんのわずかな練習時間で、重箱の隅さえつっつかなければ、最高の高度な演奏を楽しめた最高の日でした

 

 

 

 

 

 

 

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昨日10月6日(水)東京ニューシティ管弦楽団の142回定期演奏会で、世界音楽史上初めてと言っても良い程の奇跡的名演が行われました。

指揮は、ニューシティ初登原田原田慶太楼氏だった。彼は今年から東京交響楽団の正指揮者に就任した俊英で、海外でも活躍している若手である。その凄まじい天才の片鱗は、1曲目の「スペイン狂詩曲」からも見られたが、なんといってもメインであるチャイコフスキー交響曲第4番が、まるでミラクルと言ってよいほど、今までおそらく世界中の名だたる名指揮者も無しえなかったであろう、常識を覆す極上の出来であった。どうしてああいう解釈(発想)が出来るのか全く見当もつかない(是非その録音を聴いて、その謎を解明してみたいものである)。

この30~40年日本の将棋界で旋風が吹き荒れているAIによる駒の打ち方とも共通するものがあるのかもしれない。今の将棋界でAIを活用しない棋士は皆無だろうし、アマチュア棋士の中にも広く浸透している。それによって一時代前までの大名人、舛田名人や大山名人のような、当時他を圧する超絶な駒使いも、おそらく現在AIを駆使した小学生棋士と対戦したら全く歯が立たないだろう。スポーツ界も然り。戦後間もないころのオリンピックの男子の金メダリストも、例えば水泳で1500m自由形を例に取れば、その記録はいまや日本の小学校の女の子の記録と比べると、50m以上引き離されているのである。体力の違いもあるが、多くは練習する際のAIをも含む科学の勝利だろう。

それらと原田氏を同列に並べて評価することが正しいのかどうかは分からない。しかし、あの今まで誰も考え付かなかったであろう音楽の持って行き方は、尋常ではなく、私が知る限り、過去の歴史上に名を残すどんな名指揮者も考え付かなかったと言っても過言ではない、凄まじいものであった。彼は間違いなく大天才であるが、だからと言って、彼だけの力であそこまでの演奏は不可能ではなかろうか。かつての世界の名指揮者の誰もが考え付かなかった解釈を彼がどこから思いついたのか。最近の若い世代の指揮者は直接間接に、 AIという表現の仕方が正しいかどうかわからないが、半世紀前には全く利用できなかった、コンピューター等デジタルの利用によって急激にレヴェルアップしてきた。過去の重要な資料までも、かつては一生かけてようやく調べられたかどうかという貴重なそれらが、今では自宅のPCで簡単に検索できるようになり、しかも10分もあればできてしまうのである。どこかで名演が行われたと聞けば、今では自宅のPCでそれを簡単に聴いて、その秘密を解明することもできる云々、そのメリットたるや枚挙に暇がない。私も遅まきながら、出来る範囲で彼らの後姿を追いかけてはいる。勿論どれだけ追いかけても、年齢の差はいかんともしがたく、どんどん離されていくのではあるが。でも、それをやめたら、もうプロとしては終わりである。それは、私よりもっと格上の評価を受けている巨匠指揮者も同じ事であろう。最近は、かつて日本のトップクラスの評価を受けていた指揮者が、まだ存命中にもかかわらず、若手に追い越され、彼らにポストを奪われていく様を見るにつけ、生まれた時代の違い(勉強できる環境の大きな違い)をまざまざと見せつけられる思いである。

終演後、原田氏に名演の謝辞を言った際、私の校訂した【新世界から】と【フィンランディア】のスコアを進呈した。今まで無数にあったそれらの曲の問題点等を示した自筆譜を見せながら。それを見て彼は、「まるで神様からの贈り物のようだ」と、そんなにオーバーに言っても良いのかと思うぐらいの感謝の言葉をくれた。それは単なるお世辞ではないことが、彼のそれを見た時の驚きの表情からも分かった。その2曲は、どの指揮者も、市販のスコアがいい加減なものしか流通していないので、大変困っているのである。それで私が数年前に、世界中の資料を集めて、これでもか、という根拠資料を付けて発行したものである。今までもニューシティを指揮した指揮者にはプレゼントしているが、半分以上の指揮者からは後日お礼のメール等が来ている(海外からも)。

昨日のソリストはかつて私と共演したことがある、サックスの名手上野耕平氏であった。勿論その演奏は素晴らしいものであったが、終演後楽屋に彼を訪ねると、私との共演のことを鮮明に覚えていてくれて、感謝の言葉をくれた。彼がまだ芸大の2年生の時だったそうで、私が審査員をやっていたコンクールの時に、私が彼を見初めて、声をかけたのである。

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昨日、来年4月からニューシティの音楽監督になってもらう飯森範親氏に、創立以来30余年の楽団の歩みや楽団のポリシーについてお話ししました(日野理事長同席の下)

場所は、日野理事長が1年ほど前に購入された新橋駅徒歩3分の一等地のビルの2階でした。私は事前準備のために1990年の第1回定期から先日の私が振ったブルックナー9番の第140回までのアーカイブを表にして見せ、また、私が30年かけてやってきた、他の指揮者や楽団では気付かれず、結果として作曲家が意図したものとは異なる演奏が行われてきた(テンポや解釈はもちろん、曲によっては主旋律が何か所もミスプリントされたまま)多くの有名曲を、根拠を示して修正し、曲によっては改訂新版を出版する等やってきた、すなわちチラシやプログラムに書かれたキャッチ“いつもなにかがあたらしい”がぴったりの、誰もが“エッ”て言う“画期的”な企画を説明しました。そのために、3大新聞や日経その他の新聞に写真入りの記事で取り扱われたもののコピーや、約30種類にもなる、「音楽の友」『音楽現代』「レコード芸術」その他数種の音楽専門誌に、各1~5頁ぐらいに亘る、私の新企画に関する写真入り記事を、コピーして持って行きました。それだけでなく、ニューシティの成長を物語るような、数ページに亘る楽団の成長を語る紹介記事が載った、メジャー雑誌の記事も持って行ったので、それには日野理事長も大変興味深そうでした。

明日の午後に、メディアを集めての、来年4月からの楽団の新体制に関する記者会見があります。きょうは事務局が一生懸命おの宣伝用にSNSにのせたものの一部、Twitterに“とても重要な発表がある”と書かれた活字を目にしました。

私としては、ただ新しいオケを創っていくのだと意気込んだとしても、“では何を?”ということが明確ではないと、政治家が国民に対しいいかげんなことを言って票だけを集めればよし、とするいつもの構図になってしまうので、それだけは避けてほしいと思っています。名実ともに、メディアで今までより常に興味を持たれ、先輩楽団より高評価をもらえるような活動になってほしいのです。これには相当の内容が無いと、ただ目新しい知らない曲や名演奏家を並べ、ただ良い演奏をしたとしても、そんなの有名楽団ならどこででも聴けることなので、当団でしか聴けない何かをやってほしいですね。それは単にどこにでもある名演奏ではありません。さすがニューシティ、音楽監督が替わり、新しい素晴らしい企画が目白押しだが、“創立以来の、他の楽団ではできない良い伝統も受け継がれている”、と言ってもらえることを期待したいですね。そこに、もちろん今までになかった新しい凄い何かが加われば言うことないのですが。そういう願いも込めて、おそらく飯森さんも日野理事長も齋藤楽団長もご存じなかったであろうかつて華やかであり、仕事数も今の3倍ぐらいあり、文化庁やメディアからも高評価であったニューシティの実績を、資料をお見せすることによって初めて知ってもらいました。

私個人の勝手な願望を書いてしまいましたが、ここ数年倒産しかかっていた我が楽団を何とかしたいがため、必死でスポンサーを探し、ようやく見つけた日野理事長です。本当に心底感謝をし、今後より素晴らしくなるであろう展望を夢見て、明日の記者会見の夢を見ながら寝ます。おやすみなさい。7日23時59分

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8月21日(土) 東京ニューシティ管弦楽団の第140回定期演奏会が、コロナ禍の中、私の指揮でコアなブルックナーファンに囲まれ無事終了しました。

*ワーグナーのマイスタージンガーより第1幕への前奏曲(約10分)に、メインが

*ブルックナーの交響曲第9番4楽章シャルラー補完(日本初演)(約80分)でした。

・ブルックナーの9番・4楽章付きの日本初演について。

この交響曲は、死を身近に感じていたブルックナーが、自身の心底敬愛する神様に対する心からの愛を、この長大な曲のあちこちにちりばめ、全身全霊を捧げて何年もかけ作曲しました。

ところが残念ながら4楽章の最後2~3割が未完のままで、神に召されたと言われています。当然4楽章まで演奏して初めて彼の信仰が成就するように当初から計画されていたにも拘らず、一部が未完に終わってしまい、彼としてもとっても心残りであったでしょう。

ところが、彼の死後何年か経った今から約百年前に、完成していた3楽章までを初演することになった際、21世紀の現在にまで脈々と受け継がれてしまうことになる悲劇が起きました。それは初演の際、その話題作りのためか“この曲は3楽章までで完成されている稀有な作品である”と宣伝され、4楽章の存在が噂されても、“未完の4楽章は、3楽章までで完成されているこの交響曲にとって無用の長物である”、如く扱われ、以後現在まで約百年にも亘って、その正しくない宣伝文句が多くの関係者に信じられてきました。そのため21世紀になった今でも、未だにその“デマ”を信じて、3楽章までしか演奏しないことが正当であるとすら思っている指揮者も多いようです。

しかし20世紀も半ばにもなると、4楽章は1~3楽章を集約した最重要な楽章であることが徐々に理解され始めました。しかも当初公表されていなかった4楽章の冒頭から約2/3はほぼ完成されており、その後もかなりの部分が実際にはブルックナーによって書かれていたことが判明しました。しかし残念なことに、彼の死後あたかも遺品争奪戦が起こったかの如く、彼の書いた楽譜(大きな紙を8つ折りにして裏表で16頁が一つの単位になった紙片)の終りの部分の何枚かが、何者か達に持ち去られてしまい(すなわち16頁単位で抜け落ちてしまっており)、校訂しようにも不可能だったことも、完成している部分が少ない未完成曲であるという論に拍車をかけたのでしょう。

しかし、この百年の間にそれなりの図書館等から、持ち去られたかなりの枚数が見つかってきており、その度に何人かの校訂者により、それが付け加えられ、よりブルックナーの意図に近い新校訂版が出版されてきました。同じ校訂者が2回3回と改訂版を出し直すことさえ起こっています。

そうなってくると、たとえその校訂に、ブルックナーの意図と完全には沿っていない部分があったとしても、4楽章で完成する設計で作られたこの交響曲としては、3楽章で中途半端に終わってしまうより、遥かに彼の意図に近いものになっていることは、明々白々でありましょう。それらの一つが、今回のシャルラー校訂第2版で、2016年の第1版をさらに改定し、2018年に出版されたものの日本初演です。

当団と私は、15年前にはキャラガン氏の校訂による、当時最先端であった4楽章の世界初演をやっており、それはCDで現在発売中です(内藤彰ブルックナー新校訂版世界初演シリーズCD)

練習は、多くの団員にとって慣れない4楽章にてこずりました。私自身にとっても初めての校訂版で、今まで聴いたことのない難解な部分にどのように対処するか、校訂者であるシャルラー氏自身の指揮したCDもあるのですが、結構私の考えとは異なっているため、スコアから頭に鳴って来る音で響き等を想像して指揮しながらも、練習中に聴こえる現実の響きに応じて微調整しながら進めていきました。当然練習前に描いた4楽章全体の演奏構成にも多少の影響は出ましたが、トータルして上手く言ったと思っております。いずれ聴く(見る)であろうDVDを楽しみにしています。

 

 

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◎8月21日(土)第140回東京ニューシティ管弦楽団定期演奏会が成功裏に行われ、内藤彰が同楽団の定期公演を指揮する最後の演奏会となりました。

私内藤彰は30余年前にこの楽団を創立し、これまで音楽監督として “いつもなにかがあたらしい”をキャッチフレーズに、長年独自の方針を貫きながら活動してきました。このキャッチは、作曲家が熱望しているにも拘らず、その楽曲の真の姿に世界中が気付かないまま、作曲家の想いとは異なった演奏をすることが、長年に亘り慣習になっていた部分を、私と東京ニューシティ管弦楽団による定期演奏会にて世界に先駆け修正し、作曲家の想いを実現させていくコンサートに付けられたネーミングです。今までこのホームページの別欄に載せている「超名曲の常識を斬る‼」に記載したように、【蝶々夫人】【第九の4楽章】【新世界から】【フィンランディア】【ブラームス交響曲1番】【ブルックナー交響曲4番~9番】等々多くの名曲の、演奏上の誤慣習を指摘し、根拠を示して作曲家の意図に沿った演奏を実現してきました。その多くの音源は皆さまにお聴き頂ける状態になっております。そのシリーズも、今回で最後となりました。

私のみならず、この方向性を応援して下さったコアなファンの皆様や、また誰よりも自分が望んでいない姿で自らの作品が演奏され、天国で苦々しく思っているであろう大作曲家たちにとっても(言い過ぎかもしれませんが)、残念なことでしょう。

しかし、オーケストラの経営には多額の資金が必要であり、それにより円滑に運営されてこそ、初めてプロの楽団としての主張を持った活動が可能となります。

通常自主運営オーケストラと言われている、大スポンサーを持たない日本の多くの楽団の場合も、それぞれの経営努力により各方面から平均年間3~4億円の様々な形での援助金を得て経営されています(日本オーケストラ連盟調べ)。それを鑑みるに、今まで当団がそういった援助なしに(援助獲得の努力を怠ったまま)、こういった活動が出来てきたこと自体、色々な幸運にも恵まれたとはいえ、奇跡であったと言えるかもしれません。

当団の絶頂期とも言える時期は、創立20年前後、今から10年ほど前で、その頃は年間百数十公演も抱え、日本の全楽団の中でも片手に入る程の多忙さであり、その売上金により、何とか赤字にならずに済んでいました。現在の倍以上の公演数です。

当時の私内藤は、指揮者として上記の活動をしつつも、経営者としても大車輪であったわけですが、それに対し世間では“出る杭は打たれる”のことわざの如く、“ニューシティ管弦楽団は、音楽と経営のすべてを内藤が牛耳っている、単なる内藤のプライベートオーケストラである”との悪口が独り歩きするようになりました。そしてその批判的噂は、それまで上記のような活動実績に対し高評価を与えてくれていた文化庁にまで飛び火し、活動に支障をきたすようになってきました。

また私内藤は内藤で、その噂を自分の中で大義名分として(自分で自分に言い聞かせ)、経営責任者である代表理事(理事長)を他人に譲り、一時的ではあっても、経営から退いたことも2度あり、また歴代の事務局長に経営の一部を任せきりにしたまま、自分は好きな音楽の勉強、特に他の指揮者がやらない上記内藤ならではの研究に嬉々として時間を割いていました。

その結果(だけとは申しませんが)、色々不運も重なって、この数年の間に私個人では手の負えない負債を一般社団法人東京ニューシティ管弦楽団として抱え込むことになりました。

私内藤が、そのように経営の一部を人任せにしてから数年経ち、この経営危機を危篤状態と捉え、真剣にスポンサー探しに取り掛かってから数年の間、当初はどこからも相手にされませんでしたが、幸いにもその中の一社(一人)が興味を持って下さり、2年半前に経営を全面的に援助してくださる約束をして下さいました。

その方は、多くの企業の経営に携わっておられ、その企業体全体のステータスアップのためにも、未来永劫決して利益の出ない楽団経営のために、多額の資金を注入してくださるお覚悟で、代表にお就きになって下さり、それ以降この2年の間に、それまで楽団が抱えていた(私の連帯保証)負債のかなりの部分を、すでに返済して頂きました。感謝感謝であります。

そして、代表に就かれてから2年余り、色々お考えになられ、この程新しい楽団の方向性を打ち出されました。来月8日に記者会見の予定で、その際に多くが発表されることになっています。現時点で決まっていることは、来年4月より2代目の音楽監督として、今まで多くの楽団で力を発揮されてきた飯森範親氏が就き、彼の考えにより新しい当楽団の音楽上の方向性が打ち出されるということです。

上記“いつもなにかがあたらしい”のキャッチに替わる、それ以上の素晴らしい、当楽団ならではの飯森氏の路線がお目見えするであろうと、楽団創立者として今からそれを楽しみにしています。またそれに伴い私内藤彰は、楽団の顔であります新しい定期公演の指揮者のラインアップからは外れますので、今回の第140回定期公演が内藤彰の最後の公演となった次第であります。

もっとも最後の公演という意味は、楽団の主義主張を表す定期公演での指揮のことであり、まだまだ今までの私の関係で依頼されている公演も多い中で、それらを含め定期公演以外の幾つかの公演は、今後も指揮してまいります。

そして私は、飯森氏が音楽監督になることにより浮いた時間を、今までの、私にしかできない(自惚れかもしれませんが)、今までやってきた研究をさらに深めることや、それらの総まとめの発表(種々の出版)に使う所存でおります。“いつもなにかがあたらしい”のキャッチの下で行われた定期公演で、世界で誰も気づかなかった、作曲家の真の意図に寄り添った演奏の数々にも、多忙のだったため今まで手つかずで、録音したままになっている者も多く、それらをCD化すること。また、この私のホームページの別の欄に掲載している、「超名曲の常識を斬る‼」(まだ未完成)を完成させるための作業(それらの内容の整合性を確認するために、それぞれの道の大家との厳しい確認作業をも含む)が待っています。そしてそれを然るべきところから出版し、広く世に今までの名曲の、本来の姿を広めていくこと。等々やるべき、私にとって超楽しい作業が目白押しです。

また、現時点でそのような活動をするためには、後期高齢者が近づいてきたと言えども、AI,IT 云々という、高齢者である私にとっての一番の苦手を克服し、若者に近くそれらを駆使できるようになることが必須です。その勉強を、ほぼゼロの状態から始めることになる覚悟をしております。乞うご期待、と共に今後ともよろしくお願いします。

cf) 公演前日に私が定期演奏会の指揮の最後であることを知ったばかりの団員たちが、急遽終演後、お客様が帰られた後に舞台に戻り、私に花束や寄せ書きを渡してくれました。また新理事長も花束を直接舞台上で渡してくださり、団員からの言葉をもらって、記念の集合写真を撮りました。わずか1日で、急遽そこまで準備してくれた楽団員他には、心より感謝します。

 

 

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ベートーフンが熱望した彼の意図通りの”第九”(東京ニューシティ管弦楽団137回定期)が遂にベールを脱ぐ❶

3月6日(土)の午後2時開演。コロナコロナでとんでもない1年間であったが、なんとか公演を中止することなく(客入りは芸術劇場側からの厳しい制限により1/3であったが)、無事成功裏に終了することが出来た。私にとっての今回の公演の主たる目的は、今まで根拠なくベートーフンのたっての願い(楽譜上の指示等含む)とは真逆な演奏が、世界中で行われてきた4楽章の冒頭部分の様々な演奏慣習に対し、指揮者として長年研究を続けてきた結果の、今までおそらく誰もが気付いていなかったであろう、この曲に託した彼の人生最後の強い願いを表現することであった。そしてそれに奇跡的にも成功したと思っている(通常とは違う異常なほどの驚嘆の賛辞も多数頂き、成功したと自ら言ったとしても、こういった場合の常である、うぬぼれとの誹りはおそらく免れることが可能であろう)! その出来栄えを確信できたのは当日のGP直前、4楽章冒頭のチェロとコントラバスのレシタティーヴォ(以下Rec.と記す)の超絶演奏が成功した時であった。あくまで私見だが、私が数十種類の知名度の高いCD等で調べた範囲では、世界のオーケストラで今まで、彼の絶対命令による、最悪の世の中(冒頭のファンファーレ)を打ち破るための超絶テンポ(付点2分音符=66(♩.=198))指定を守り、テンポだけではなく、その役割を理解した上でのRec.の厳しい演奏に成功した例は、おそらく皆無だったのではなかろうか。

今回おそらく世界で初めて?、彼の指定したその超絶テンポであの難しいパッセージを、ただ速いだけではなく、彼が熱望した、以後に記す当時の最悪な封建制度の急激なる復活を、心底から拒絶粉砕しようと思わせる音色で演奏できたのである。前日までの練習では、皆その猛烈に速いテンポに戸惑い、ただ速く弾くことに全力を掛けるのが精いっぱいであったが、団員からの薦めもありGPの直前に、無理を承知でベートーフンの指定のテンポと雰囲気が出せる様指揮してみた。その際、私の頭の中には、セイヤー著作の伝記に出て来る、初演の際の練習中起こった、ベートーフンと奏者のやり取り(喧嘩?)、すなわち「絶対にそんな速いテンポでアンサンブルするのは不可能だ!」「それは良く判る」「ならばもっと遅くしてくれ!」「それはできない、例え演奏に破綻があってもそのテンポ(♩.=198)で弾け」とのやりとりの場面がちらついた。その裏には当然「その速いテンポで思いっきり弾かなければは、自分の表現したいこと、すなわちこの最悪な世の中(冒頭のファンファーレ)を拒絶粉砕できず、このRec.に賭けた、4楽章を成功に導く最大の重要意図が表現できない」が隠れているわけである。勿論初演の練習中にそのような理由を、いちいち奏者に説明はしなかっただろう。本当はその際、その真の理由を説明をしていれば、その場では実現不可能であったとしても、彼の意図が後世に伝わり、楽団のレヴェル向上に伴って、徐々に彼の意図が演奏により表現出来るようになっていっただろうに。そうしなかったがため、その後の指揮者や学者には、何故楽譜に注意書きしてまでそんなに速く弾く必要があるのか理解できないまま、結果としてその後200年もの間、彼の意図は不明なまま無視されても良い、意味の無いものとされ続け、さらには運悪く、それがあろうことか彼の意図よりずっと遅いテンポによる真逆な演奏習慣につながっていったのである。今回の公演で、その長い眠りを覚ますことが実証出来たと言えば、「眠りの森の美女」の王子の役を果たしたようで・・・・(笑)。

ともあれ、そのGP直前に、当時の楽団と比べ遥かにハイレヴェルである当団の能力を示す奇跡が起こった!何と前日まで不可能(と私には思えた)だったそのベートーフン指定のテンポと表現が(前日まではせいぜい♩.=175ぐらい?)、チェロのトップ奏者松本ゆり子氏の素晴らしいリードの下、完璧に出来てしまったのである(おそらく♩.=190~198)。その奇跡!により、彼が夢に見、楽譜に例外的な注意書きまでした熱望の表現が、初めて可能となることを私は確信することが出来た。

今回の公演の何が奇跡で、なぜこのようなことを書いているのか、お判りではない方のために、彼がこのとてつもないメッセージを込めた曲を書くに至った背景に少々触れておこう。

自らの終焉が近いことを体の不調から悟った(初演後3年経たずに死去)ベートーフンは、ナポレオン追放直後のウィーン会議(1814年)により突如起こった、彼にとって自由平等を取り上げられるという、旧特権階級による最悪な封建制の復活を、人生最後の力を振り絞り、作曲家として音楽で拒絶し、廃絶を願ったのが「第九」、特に4楽章の前半部である! それにも拘らず彼の没後200年、世界中がその「第九の真実」に対する研究が不足していたのだろう、その最大ポイントに気付かないまま、残念ながら結果としてこのRec.部分は、彼の願望の真逆と言っても過言ではない厳しさのかけらもないゆったりとした演奏が、何の根拠も無いまま(冒頭のファンファーレやレシタティーヴォの意味も理解しないまま)現在まで伝統となっていた。しかし、彼の音楽が本質的に持っている素晴らしい魔力が幸いし(私には災いに見えてしまうが!)、彼の意図とは真逆な演奏であっても、その事実に気付くことなく、それなりに良い気分になって演奏し、聴衆ももちろん何を彼が言っているのかなど毛頭解らないまま、その場の演奏に酔いしれてきたのである。

私の以上のような書き方は、すべて真実ではあったとしても、その内容の真偽より先に、必ずや第3者から反感を持たれる可能性大である。私には良いか悪いかは別として、他の有名な楽曲に対する同様な指摘の場合も、常に反感からの感情的アンチが付いて回った。私の指摘の仕方があまりにもストレートすぎるのだろう。それまでの常識がひっくり返るためには、どんなに正しかろうとも、現実には大きなエネルギーが必要なのである。そのために思わず私に対しアンチテーゼの立場に立ってしまう専門家が多いことも理解できる。この後も続く「第九」に関する過去の悪習慣に対する私の指摘に関しても、思わず反射的にアンチの立場に立ってしまう専門家は多くても、残念ながら冷静に根拠を示して私の意見を否定できる人は、おそらく世界広しと言えども、あまりいらっしゃらないのではなかろうか。もし我と思わん方がいらっしゃれば、専門の音楽学者や指揮者から、全くの素人の方までを含め、全ての疑問にお答えしますので、このブログにコメントを頂きたい。私もそのやり取りの中で、さらなる高みを目指したい故。

この私のホームページの別の欄「超有名曲の誤りを斬る!」の第2章「ベートーヴェンの「第九」4楽章」に、ここまでの経緯は詳しく説明してあるが、ここでは、紙面上ではなく、彼の作曲当時の厳しい信念を貫くために書かれた4楽章冒頭部(バリトンのレシタティーヴォまで)を、おそらく世界で初めて、彼の熱望に従って公開の場で実現できた(だろう)その経緯をお話していきたいと思っている。(続く)

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東京合唱協会の今年の文化庁公演が、本日11月13日(金)・無事完了いたしました。明日からはまた忙しい一週間が・・・

今日で、今年の東京合唱協会の文化庁公演を成功裡に終えることが出来ました。コロナ禍のため、今まで公演日には全員が何度も検温をし、アルコ—ル消毒やら本番中のマスクやマウスシールドの付け替え、はたまたマイスリッパの持参等々大変でした。しかし、聴いて下さった全ての方から、満面の笑みと共に素晴らしい感謝の言葉を頂き、さらには文化庁から派遣された審査官?の方からも、こんなに微に入り細に入りお褒めの言葉を戴いても良いのだろうか、と恐れ入ってしまう程、嬉しい感想をいただきました。合唱団としても、文化庁公演は今年で14年目ですが、毎年多くの団員からの熱い向上心に引っ張られ、歌の内容や構成、振り付けやオペラの演出から舞台セットの配置に至るまで、細部にわたってレヴェルアップが見られ、気持ち良く今年の公演を終えることが出来安堵しています。まだ来年の1月と2月に、コロナのために延期になった公演が残っていますが。

また、団員が見つけ出した過去の合唱協会のTV出演のYou Tubeが、ここ数日団員間のラインのやり取りの中で話題になり、それを見た人たちは、大いに盛り上がっていました。2003年1月頃に放映された《さんまのからくりテレビ 玉緒が行く 混声合唱に挑戦》https://youtu.be/frK4g7dPLAw です。これを見た人は、腹を抱えて大笑いしたとのこと。ぜひこのURLをクリックしてご覧下さいませ。現在も合唱協会を牽引している一部の団員や、50代半ばの私の若い?指揮模様もわずかではありますが映っております。もちろん企画そのものは、やらせの部分もありますが、画面には、とある会館での東京合唱協会ファミリーコンサートの看板が大写しされていました。

明日は東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会。指揮は鈴木秀美氏 昔私が桐朋学園で学んでいた頃、既に、チェロに指揮に優秀な学生さんでした。彼の専門分野である古典の楽曲に対し、抜群の演奏をしてくれることを大いに期待しています。

そして明後日からの私はハードです。11月15日(日)は広瀬香美さんとのコラボのためのオケ合わせが。そして翌日16日(月)はプラスティックツリーという4名の男性グループとのコラボのためのオケ合わせがあり、翌17日(火)はその本番が、新装なった渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)で。次の18日(水)は広瀬香美さんとの本番が、同じ渋谷公会堂で。さらに19日(木)は同じ渋谷公会堂で、おとといオケ合わせを済ませた、夏川りみさんとのコラボの本番があります。全部で三十数曲になるのですが、夏川りみさんの沖縄の歌以外は、私の全く知らない曲ばかりで、しかも1週間ほど前に編曲が出来上がったとのことで、私には数日前にやっとその大量の編曲譜がドッと渡されました。その間には、合唱協会の文化庁公演が2日間組まれており、結構大変なスケジュールです。

それを済ませた次の日(20日・金)には、今度は経営者に早変わりで、合唱協会の団員や外注先の会社への請求書やら1000万円近い振込作業が予定されているのですが、それをする為には、文化庁の下請けである近畿日本ツーリストとの間で、それらの基になる書類上(数字上)のチェックですべてにOKをもらっていなくてはならず、その作業の最終期限も、なんと同じ日(20日)なのです。遅れることはNGです。

東京ニューシティ管弦楽団とも、創立以来三十年近く同様なことをやりながら育ててきましたが、幸い昨年楽団の経営を代わって頂きましたので、現在はその煩雑な業務からは解放されました。しかし、それよりもっと古くからの付き合いである合唱協会との間では、未だに私がそのような役割を担っています。

これからのハードな一週間を、年をとっても未だ朝から晩まで好きなことばかりをやって生きていられる、超幸せ者であることを大いに感じつつ、楽しく過ごしたく思っています。

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ご無沙汰しております。5年ぶりでブログを再開します。

まだまだ長生きするつもりではいるのですが、指揮者を目指して半世紀近くたった現在、私の今までの軌跡を振り返り、以下の目的でこの度念願のホームページを開設することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。❶私は、長年東京ニューシティ管弦楽団と組み、定期演奏会では数々の名曲に触れてきました。そして、その名曲の中には、今まで世界中誰にも気づかれないまま放置されていた、重要な楽譜の誤り(音程の誤植、作曲家自身のミス?、他人のお節介による改悪等々)が数多くあることに気付かされ、また、世界中が作曲家の意図を読み切れないまま、彼の真の意図とは真逆な演奏(テンポやダイナミクス、新旧の校訂版の問題他)がいつの間にか世界の慣習となり、その作曲家の想いを大きく阻害してきたこと等、多くの問題に遭遇してきました。私はそれら多くの名曲の各種過ちを、気付く限り定期演奏会の場で根拠を示して修正、聴衆の皆様からは、驚きを持って迎えられてきました。それらの多くは専門雑誌や三大新聞等で何度となく取り上げられ、当時はそれなりに話題にもなりましたが、それらが今後時間と共に忘れ去られていかないよう、生意気な言い方かもしれませんが、一連の問題点の一部をこのホームページで啓発、発信し、微力ながらも世界のクラシック音楽界向上のために貢献したい、との思いでこの欄を書かせて頂いております(申し訳ございません、読んで頂くためにはかなりの専門知識を必要とする箇所もございますが、そういう箇所はどうぞ飛ばしながらお読み下さいませ。そしてどこか一部だけでも、考えを共有して頂ける所がございましたら、私の苦手なSNS等により、私に代わって拡散して頂ければ、こんなに嬉しいことは御座いません)。❷私が三十代後半から三十数年間、音楽監督として手塩にかけてきました、東京合唱協会と東京ニューシティ管弦楽団の創立以来の歴史を、簡単ではありますが当時の印刷物をも含めここに披露させて頂きしました。また、保存されていました主に定期演奏会の、三十数年前からの映像も、それぞれの楽団のコメントの欄からYou Tube経由でご覧頂けるようになっております。そこには、私の三十代後半の姿から映っております。それらの中には、後世まで残していきたい名演も幾つかちりばめられていると、ずうずうしくも自負しております。但し、勝手ながら内藤のホームページである故、私の指揮している公演の映像しか載っておりません(経費の関係もあり、私が個人負担にて自分の公演の撮影を業者に依頼しておりました関係で)。❸恥ずかしながら「生い立ち」欄では、私の生誕からの成長過程、そして指揮の世界に入って行った経緯からしばらくの間を、思いついたまま簡単に触れております。

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