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331~ 594 |
マーチに付けたメトロノームの数字84は=付点4分音符か=付点2分音符か |
大間違いだったマーチのテンポ。331小節からのマーチのテンポは100% |
無批判に多くの指揮者が採ってきた運動会のマーチもどきテンポが如何に罪深く 4楽章全体の音楽構成を21世紀に至るまで破壊させ続け、如何に諸悪の根源となっていたか、 そして各所でそのテンポが、ベートーヴェンの真の書き込みとことごとく矛盾し、 演奏に破綻をきたす諸悪の根源になっていたか、以下に明確なる根拠を示し証明する! | ||
ベートーヴェンが、マーチの始まりから有名なメインの大合唱が終わるまで、如何に強固にその速いテンポ(付点2分音符=84)
を死守したかったかの証しを、彼が練習中に、奏者のテンポが遅くなりがちな様子を見て “速いままのテンポを絶対死守するように” との願いを込めて総譜に書き込んだ、以下の各種注意書(①~④)により詳細に証明する。 マーチ以降のメトロノームの数字が84であることまでは前項の会話帳の記載によりはっきりとしているが、 それが付点2分音符に対して84なのか、付点4分音符に対して84なのかは会話帳に書かれておらず、判別付かない状態のまま、 ベートーヴェンは会話帳記載半年後の翌年3月に没し、甥のカールが山勘?で書いた ♩.=84 は、 ベートーヴェンのチェックを受けないまま その後の「第九」演奏を破壊し続けることになった! |
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マーチのテンポが100%“付点2分音符=84”である4種類の証明 ①テナーソロへの注意書きによる証明; ベートーヴェン立会いによる初演の練習の際、当然 ‟物凄く速く快活に” (Allegro assai vivace)という、331小節のマーチ開始部に書かれたベートーヴェンの上記テンポ指示に従って、テナー独唱と男声合唱は快調に歌われていた。しかしその最後6小節間(426小節~)の独唱部分に、高音で細かな音符を連続的に歌う難易度の高い部分が出てくる。 おそらく当時の独唱者のテクニックが未熟だったのだろう、その部分を、指定された‟物凄く速いテンポ”では歌えなかったその独唱者に対し、ベートーヴェンは諦めて、(合唱が主旋律なので)「最後6小節は(合唱に任せ)、独唱者は(難しければ)歌わなくても良い」(Diese 6 Takte [426~431]können nicht vom Chor,whol aber von dem Solosänger ausgelassen werden.) と告げ、今後もそういうソリストがいるであろうことを考慮してか、その言葉をそのまま注意書きとして総譜の該当場所の真下に書き込んだ。まだメトロノームの数字が決められる前のことである。 その注意書きは初版の総譜にも載せられ、今もなお世界中すべての総譜にしっかりと印刷されている“物凄く速く快活なテンポで”演奏しなければ彼の計画した「第九」は成立しない、との必死の思いが彼をして、この注意書きを書かせるに至ったのだろう。 もし今まで総譜に印刷されていた ♩.=84というとても遅いテンポが、本当にベートーヴェンが331小節のテンポ表示として書いた“極めて速く快活に”のテンポに相当するならば、あるいは百歩譲ってもう少し速い、現在多くの指揮者が誤って採っている運動会の行進曲ぐらいのテンポでも良しとしていたのならば、たとえ技量の劣る独唱者であってもそのテンポのまま容易に歌うことができたはずである。 すなわち、‟歌えなければ(遅くなるぐらいなら)歌わなくてもよい”などという注意書きは全く無用の長物であったはずである。 この事実からも、初演当時ベートーヴェンが決めたメトロノームテンポ84の基準音符は付点4分音符(♩.=84)ではなく、もう一つの可能性である“ものすごく速い”に相当する(付点2分音符=84)でしか有り得ないことが判る。 この速いテンポなら、レヴェルの低い独唱者では歌えないが、レヴェルの高い独唱者ならば素晴らしい表現が可能だからである。 今まで何らの考慮もしないまま、ただ誤った慣習に無批判に従って、ベートーヴェンの希望よりずっと遅い運動会のマーチの如きテンポで演奏してきた大多数の指揮者も、この事実に気付いたならば、反論できる人はいないだろう。 この提起を基に、総譜に敢えて記されたこの注意書きを吟味しさえすれば、誰しもが正しい判断(付点2分音符=84)に行きつくはずである。 |
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(Ⅰ) 速いマーチに乗って歌われる男声合唱の歌詞は、作詞者シラーが、詩の発表後に自らlaufen(走る)をwandern(歩く)に直した歌詞を、ベートーヴェンは敢えてlaufenに戻し、“勝利を得た英雄のように”若者が勝利に向かって、喜び勇んで駆け巡るようにと、極めて速い快活なテンポに合致する歌詞に戻した。その他どの部分を見ても、すべてが“ものすごく速く”に合致するよう計画されていた。 | ||
(Ⅱ)少なくてもベートーヴェン没後何年かは、彼の意思(遺志)は受け継がれ、
現在とは全く違う、彼の思うテンポに近い速い演奏がなされていた可能性がある。 何しろ練習中指揮者の前に陣取り、指揮者にテンポを厳しく指示し、“速すぎて演奏不可能であっても遅くしてはならぬ”と命令し、 テンポが絶対に遅くならないためのあらゆる手段を講じていたのだから。 |
©Akira Naito
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