内藤が超名曲の常識を斬る‼
Correcting big mistakes in famous pieces


「第九」ベートーフェン交響曲第9番《合唱》第4楽章

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655~

ベートーヴェンのたっての願いは、今まで大半の演奏で無視され、単なるその場の勢いによる、
速いテンポが慣習になってしまった可哀そうな2重フーガ❕

④その後歌われる「2重フーガ」の始まり部分のテンポ指定“付点2分音符=84”から証明する
 メインの大合唱からしばらくすると、同じ歌詞‛Freude schöner Götterfunken・・・’と‟Seid umschlungen ・・・”の2種の旋律による壮大な2重フーガが始まる(655小節~)。ここでは20世紀以降、大半の演奏でベートーヴェンのテンポ指定を全く無視して指定より遥かに速いテンポで演奏することが慣習になり、指揮者、合唱団共にそのテンポを無批判に享受してきた。
 このフーガの冒頭部分には、当初からすべての出版譜に“付点2分音符=84”が明記されている。すなわちここでも‟メインの大合唱と同じ旋律(リズムだけ3拍子系に変奏されてはいるが)は、全く同じテンポで演奏するように”との当然の原則を貫くため、敢えて念を押すために彼は同じメトロノームの数字を書き入れ、それ以外のテンポでは演奏しないよう明確に意思表示をしているのである。
 しかし残念なことに、ここでもマーチの始まり(331小節)が♩.=84 とされてしまっていたがため、20世紀末に新校訂版でマーチのテンポ=(付点2分音符=84)=メインの大合唱のテンポ、と修正されるまで、大半の指揮者はこの2か所、すなわち“メインの大合唱とこの2重フーガを、本当は同じテンポ(付点2分音符=84)で歌うように、とベートーヴェンが両箇所に厳密に同じメトロノーム数字を指定していたこと自体を知らなかった。
 そのため彼らは、この2か所のテンポの関連性(同一性)など全く考慮することもなく、付点2分音符=84の指示も(例によってベートーヴェンのメトロノーム数字はいい加減だからと考えたのだろうか?)全く無視し、単に感覚的な趣味として付点2分音符≒100前後の速い(カッコ良い?)テンポを選択するようになった。勿論ベートーヴェンの指示を無視する根拠など皆無のまま(注)。
 一方では前述のとおり、同じ旋律による有名なメインの大合唱(543小節~)を、今まで多くの指揮者は、誤って運動会のマーチのテンポ、すなわち“Freude”という単語を2拍に分けて(1拍≒112~132位)指揮してきた(そのためクラシック音楽に興味がある無しに拘らず、ほぼすべての民衆が「第九」と言えば、その、ベートーヴェンの意図よりずっと遅いテンポを思い出すようになってしまった)。もし“Freude”という単語を、同じテンポのまま2拍に分けず上記2重フーガの時のように1拍で指揮したとすれば、当然1拍のテンポは半分の遅さ、すなわちFreude⇒1拍=約56~66位という、彼らが実際に演奏してきた2重フーガのテンポ(≒100)の半分近い、とても遅いテンポで歌わせてきたことになる。すなわち大半の指揮者は、ベートーヴェンが全く同じテンポで歌うようにと指示しているにも拘わらず、あまりにもかけ離れた全く違ったテンポで200年近くも演奏してきていたのである(全ての指揮者にとって、それまですべてを託してきた総譜に致命的な誤りがあったのだから、彼らを責める気は一切ないが)。
 ここで整理してみよう。本来ベートーヴェンは両箇所を同じテンポで演奏するよう厳密に楽譜に指示したにも拘らず、総譜へのテンポの記載ミスが原因して
●ベートーヴェンの本来の意図;・メインの大合唱のテンポ(1小節を1拍として)=付点2分音符=84 ・2重フーガのテンポ(1小節を1拍として)=付点2分音符=84
●今までの大半の演奏;・メインの大合唱のテンポ(1小節を2拍として) ♩.=112~132 (付点2分音符に換算すると≒55~66) ・2重フーガのテンポ (1小節を1拍として) 付点2分音符≒100
 この、総譜の誤りから生じた、ベートーヴェンの厳しい指示に結果として背いたことになる悪しき伝統は、今も尚多くの演奏で厳然と行われているが、このテンポの違いは、個人の趣味の領域をはるかに超えており、結果として、あまりにも大きな様式感の欠如と、ベートーヴェン無視の態度であるとしか言いようがない。  これも元を正せば、カールのミスで云々となるのだが、別の見方をすれば、かつての大指揮者たちの負の遺産を丸々物真似してきて、それが誤りであったことが判明した後も、勉強不足のため修正しない、私も含む現代の指揮者達の無責任な態度も責められてしかるべきだと思う。
 私は、「第九」演奏に関わる全ての皆様が一緒になって、早くこれら音楽演奏史上最大ともいうべき大誤認に気付き、少しでも早くベートーヴェンの願いに沿った演奏が世に満ち溢れてほしいと切に願っている。
(注)本文では、ベートーヴェンの指令に従わず、2重フーガの中の“Freude Schöner・・・・”を主にした速いテンポ設定が“カッコよい”とされ・・・・と書いた。実際多くの指揮者の頭の中は、2つのテーマが対等ではなく、動きが派手な“Freude・・・”を中心に考えてしまうのだろう。だがもう一方の“Seid umschlungen・・・”の本来の遅いテンポを考慮すると、その速いテンポは有り得ないことが判る。つまり後者のテーマは、最初の出現(596小節)では、どっしり荘厳に歌うようにとされ、2分音符=72なのである。このテーマを“Freude・・・”に合わせ軽々しく2分音符≒100前後で歌わせるなんて、歌詞の意味を考えると全くあり得ないことであろう。ここもそのポイントを深く考える指揮者とその場の思い付きだけで指揮する人との違いがはっきりと表れる箇所である。
ついでに蛇足ながらベートーヴェンのテンポ指示について一言。他の作曲家と比べ、彼のテンポ指示の的確性は高く、それを速すぎる云々と言って無視する人は、なぜその一見速いと感じてしまうメトロノームの数字が書かれているのかを理解出来るまで、深く追求すべきだろう。当時の様式や演奏法等の考慮なく、ピアニストに至っては、ベートーヴェンの時代には現在のピアノはまだ存在せず、ピアノとはタッチや響きの違う古楽器のピアノフォルテのためのテンポ指示であったことすら理解していない人もいる。弦楽器も当然ヴィブラート等全くかけない古楽器による軽い活き活きとした奏法を前提としたテンポが指示されていること等もゆめゆめ忘れてはならない。また、「第九」のRec.の項でもしつこく書いたが、彼は現実に演奏可能かどうか以上に、本来そのテンポでなければ表現できないという確固たる信念に基づいて指示している場合が多い。アマチュアの演奏家の場合、どうしても速すぎて演奏不可能である場合は、ある程度の妥協もやむを得ないが、プロの演奏家を相手にする場合は、少々の破綻が有ろうとも、ベートーヴェンがなぜそのテンポを要求しているのかを、その背景からも理論的な側面からもしっかりと考慮した上、最大限彼の望みを叶えるよう努力すべきであろう。「第九」のRec.の超快速なテンポがまさにその例に該当する。そのテンポが難しかったとしても彼が言うように、何が何でもそのテンポを死守しなければ「第九」の趣旨から外れ、真の「第九」にはならないからである。間違っても、長年巷でまことしやかに言われてきた、‟彼はまだメトロノームの使い方に不慣れで、振り子の上でみるべき数値を下側で見ていたのだろう”などという、厳密にチェックすればそのようなことは有り得ない誤情報に惑わされてはいけない。 
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