内藤が超名曲の常識を斬る‼
Correcting big mistakes in famous pieces


シベリウス 全楽曲共通の滑稽かつ深刻な過ち

指揮者の方のご参考までに
新旧のBreitkopf版による、罪深き全楽曲に共通する致命的過ちを告発する!

 シベリウスの全楽曲の、初版以来引き継がれてきたズサン極まりない、しかし非常に重要な過ちが、音楽の現場を知らない当時の写譜師や、現在のシベリウスの楽譜全般の権利を持つBreitkopf社によるズサンな校訂によって、今もなお我々に間違った演奏を強要している!
 しかしその過ちの元凶を知れば、全世界の指揮者は自ら容易に即刻修正できる。そして長年悩まされてきた楽譜上の不合理の多くが瞬く間に解決される。すなわち、自筆譜からの致命的、しかし言われてみれば極めて容易に理解できる写譜ミスが初版以来、最近発行されたBreitkopf社による交響曲の新版シリーズにも、全く修正されることなく脈々と受け継がれているのである。そのミスは、【フィンランディア】の項でも触れた、よくある‟>と松葉dim.の見間違い”という極めて単純なものである。
●何故そんな単純な過ちが長年放置されてきたのだろう;答えは単純である。シベリウスのこれら記号は、1か所だけを見れば間違った写譜をしてもやむを得ないほどの癖のある書き方なのである。すなわち、>がとても横長に書かれ、通常なら音符の幅と同じぐらいである>の形(幅)が、多くの場合次の音符にまで掛かる横長な書き方なのである。極端な箇所では1小節、すなわち4拍子なら4拍分にわたって長く書かれている。これは通常ならば明らかに松葉dim.の書き方である。
 しかし、この彼独特の書き癖は、彼の多くの曲に共通して存在する。それらの箇所を音楽的に解析すると、どこも同様な特徴が浮かび上がってくる。言い換えれば、彼の一見松葉dim.に見える記号の大半は、明らかに>であることが誰の目にも容易に理解できる。
【フィンランディア】の44小節の例を挙げると、そもそも同じ音符の上に“松葉dim.とイタリア語によるdim.”すなわち全く同じ意味を持つ2つの記号が同時に同じ音符の上下に書かれたまま、平気で印刷され、それが全世界に行き渡っていること自体、異常な現象である。なぜこのような単純かつ明らかなミスに、写譜師や出版社は気付かなかったのだろう(注)。

 この2つの記号は、明らかに別物であり、松葉dim.ではなく“正真正銘の>とdim.”のことである。すなわち>した後にdim.していくことを意味するからこそ2つの表記が生かされるのである。
 しかし今までの楽譜の誤った表記は、全くその意図にそぐわないあまりにも低次元な過ちであるにも拘らず、そのまま印刷され続けてきた。指揮者はこの“嘘”を見てどうやって演奏してきたのだろう。
 「同じ意味の2つの記号を同じ所に書くなんて意味ないのにな~」なんて漠然と思いながら、ただ通常のdim.だけをしていたのではないだろうか?かつての私がそうであったように。
 ちなみにシベリウスは、徐々に弱くしていく表現として横長の2本線による松葉dim.を書くことは稀であり、多くの場合イタリア語のdim.を使っていることをぜひ覚えておいてほしい。
(注)シベリウスが♩や♪の連続する一つ一つの音符をすべて>で演奏させようとして付けた>記号が、どの>も横長だったからといって、いつものようにすべての音符一つ一つにそれぞれ別の松葉dim.を書き写して平気でいる写譜師や出版社の神経って?
 次章「シベリウス交響曲第2番」でも多く見られる、上記テンポの速い箇所で、シベリウスが付けた連続するすべての♪や♩に対する>記号が、どれも横長に見えたからとして、敢えてそれぞれの音符に一つ一つ別の松葉dim.を付け、それぞれの音符すべてを、別のdim.として弾き分けるようにと言っても、それは絶対に不可能である。
 1秒間に3つぐらいの音符にそれぞれ>を付けて演奏することは可能ても、3つ以上の音符それぞれに、松葉dim.を忠実に付けて演奏することなど到底不可能であり、彼の書き癖を知っていればそんな冗談のような楽譜になるはずがない。
 しかし最近“改良して”出版されたはずのBreitkopf社の新交響曲全集には、相変わらずその冗談が譜面から溢れ出ている。
TOP
お問い合わせはこちら