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東京合唱協会 ─ Tokyo Choral Society

2000年9月

17年目(37公演/年)

第17回定期公演(北とぴあ);
ドゥヴォジャーク:スターバーとマーテル


第17回定期公演チラシ

第17回定期公演チラシ

第17回定期公演チラシ

第17回定期公演チラシ

第17回定期公演プログラム

第17回定期公演プログラム
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2001

18年目(48公演/年)

 9月下旬にNHKホールで、バイエルン国立歌劇場の引っ越し公演があり、ズービン・メータ指揮;ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」公演で、招聘元の(財)日本舞台芸術振興会から、男声40名程のエキストラ出演の依頼を受けた。それまでの定期公演における当団の演奏を聴き、又私とNCを通じての信頼関係があってのことであった。練習中に歌劇場の合唱指揮者は、当団を絶賛し、劇場の専属合唱団員に対し、我々の目の前で、日本の合唱の人達を見習え!、声だけでなく、発音(ドイツ語)も君ら(ドイツ人)よりずっと鮮明である。何故なんだ!? っと、彼らに対し檄を飛ばしているのを目撃した。劇場団員からすれば、年間たくさんある公演の中の単なる一公演でしかなかったのに対し、我々の男声は、世界の一流歌劇場の中で一部だけとはいえ、一緒に出演できるということで、彼らのボルテージュは大いに上がっていたのだろう、必死にやってくれたからの賜物であった。
 また、翌年の1月には、文化庁の派遣で海外に留学した経験のある人たちが一堂に会し、お礼の意味を込めて、それぞれの専門分野を披露するという試みが、新国立劇場(中ホール)で4日間にわたり行われ、多くのそうそうたる留学経験者達が入れ代わり立ち代わりで公演をしていった。その中でバレエで留学した関係者が中心となって、カルミナブラーナが4日間4公演行われ、ダンサーだけではなく、振り付けも、照明等の舞台さんも多くが、文化庁からお金をもらって留学した人たちであり、誠に輝かしいステージが続いた。その中でカルミナブラーナの合唱を当団が引き受けたのである(オケはTNCO)。これにより当団の知名度が有名人の中で上がったことは言うまでもない。

2002年4月

19年目(33公演/年)

第18回定期公演;
ヴェルティ・ワーグナー集

 この年から、鑑賞教室の終曲人気の“歌って踊って”コーナーに「ディズニーメドレー」が加わり、徐々にそれまでの「マイフェアレディ」から、「サウンドオブミュージックメドレー」と「ディズニーメドレー」の二者選択に移行していった。定期公演のソリストは、いつも通り団員がすべて歌ったが、後に日本音楽コンクール2位になった団員のメッゾソプラノ山下牧子も素晴らしい歌唱を披露してくれた。
第18回定期公演チラシ

第18回定期公演チラシ

第18回定期公演チラシ

第18回定期公演チラシ

第18回定期公演プログラム

第18回定期公演プログラム
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第18回定期公演

第18回定期公演

2003年9月

20年目(38公演/年)

第19回定期公演 ミサ・ソレムニス

 共演のTNCO独自のステージは、ベートーフェン交響曲第2番、今一有名ではないがとっても良い曲である。そこで、ベートーフェンが活躍していた頃の、全くヴィブラートを掛けないピリオド奏法(その時代の奏法)で行い、自分ながら大変良い出来であったと思っている。当然合唱も同じポリーシーの下で演奏しなければ様式的に違和感を生じてしまう。それ故彼らにもできる限りヴィブラートを抑制して歌ってもらった。とはいえ、そのような勉強をしてこなかった大多数の団員にとってはとても大変なことであり、苦労したことと思うが、そのおかげで純正調の奇麗なハーモニーが醸し出され、大変良い出来であったと思う。もし録音が良ければCDにしたく思っている。
第19回定期公演チラシ

第19回定期公演チラシ

第19回定期公演チラシ

第19回定期公演チラシ

第19回定期公演プログラム

第19回定期公演プログラム
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2004

21年目(25公演/年)

2005

22年目(28公演/年)

2006

23年目(36公演/年)

この年は、長野県での学校公演が7日、伊丹市が4日あった関係で、公演数がやや持ち直した。私が20年近く北区のアマチュアオーケストラや合唱団を指導していた関係もあり、この年から北区独自の予算により、少人数で低予算ではあるが、毎年学校からの希望に応じて数校の鑑賞教室が開かれるようになった。

2007

24年目(55公演/年)

 幸運な年であった。“日本国民のすべてに、義務教育期間中(小学校と中学校)等しく本物の芸術公演を2回体験させる”との素晴らしい決定が2~3年前に文化庁においてなされ、既に交通の便の悪い離島を含む全国隅々の学校にまで、あらゆる分野の芸術団体が派遣されるようになっていた。しかし、その芸術団体に選ばれることは至難の業と言ってもよいほどハードルが高かった。ところが、この年突然その規模が拡大され、前年度までは全分野の団体すべてで30~40団体が採択されているだけで、クラシック音楽の団体はその1/3にも満たなかったところ、この2007年度から、全分野合計で結果として100以上の団体が採択されたのである。つまり枠が大きく広がったのだが、そこで東京ニューシティ管弦楽団と共に初エントリーで当団は見事採択されたのである。もちろんそこに至るまでには、過去の実績を示さなくてはならず、どの団体も過去に公演実績のない演目は許可されず、過去に公演歴のある演目を、しかも映像付きで毎年の応募の際に示さなくてはならなかった。当団の高い演奏レヴェルはもとより、ただ耳で聴くだけではなく、視覚的にも生徒さんを楽しませることのできるプログラム構成で、しかも体育館で行う移動学校公演としては本格的な舞台セットや衣装とメイクがなされたオペレッタも同時公演するという、文化庁が設定した合唱枠と、オペラ枠の両方の内容をレヴェル高く備えている設定は、文化庁からの調査員からも毎年高い評価を受け続けることになった。この文化庁公演に上手く入り込めたことが、それまで普通の合唱曲をプログラムとして、鑑賞教室を中心に活動していた幾つかの他の合唱団との間に、明確な差を付けることになった。他の採択されなかった団体は(中には同じ2007年度に採択され、次年度からは採択されなくなった先輩プロ合唱団もあった)、その後の少子化と週休2日制の実施、バブルの崩壊というトリプルパンチにより・・・・という運命を・・・・。
 この初年度に当初依頼された公演数は約20校、そこにお金が余っていたからか、初秋になって追加公演と称し、新規に9校の公演が加わり、信じられないことだが、さらに晩秋になって第2次追加公演の募集があり、計33公演を3月の年度の終わりまでかけて公演して廻った。私も団員も、みな嬉々として楽しい、有意義のある公演であった。
文化庁子供平成19年度プログラム(小学校)

文化庁子供平成19年度プログラム
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文化庁子供平成19年度プログラム(中学校)

文化庁子供平成19年度プログラム
中学校[PDFで見る]

2008

25年目(47公演/年)

 文化庁からの依頼で、多くの公演を受注し歓喜した前年であったが、この年も同様な公演数を期待した当団にとって、2年目は大いに失望する年となった。文化庁の全体の予算が、何故か前年度のみ特別多かったらしく、おそらくこの年は、それまでの予算額に近いレヴェルにまで下がったのだろう。どの団体も発注公演数がガタ落ちした。当団は10校のみで、追加公演は一切なかった。これは公演の出来が良いか否かの問題ではない。何故ならこの年はJ地区、すなわち南九州地区と沖縄県の学校が対象だったのだが、どの学校も当団の名前を知っているわけではなく、いわんや前年度にどのような演奏をしたか等、文化庁の担当官以外どの学校も知る由もなかったからである。
 編成は、合唱団員30名、ピアノ1名、指揮者1名、それに「あまんじゃくとうりこひめ」というオペレッタ(セリフ込みで約30分)に必要な打楽器奏者1名(どうせ参加するならば、ということで、本来ピアノ伴奏だけの曲にもアドリブで参加してもらい、絶大な演奏効果を挙げている)、そしてスタッフが4名である。彼らにはオペレッタの舞台転換や照明、擬音、さらにはこの公演のために新規購入した、本来劇場備え付きであるひな壇を、ステージごとにセッティング変えしてもらったり、さらには2トン車めいっぱい積んだ荷物を運搬してもらっている。
 文化庁の公演は、通常より合唱の編成が大きいのみならず、長期に家を空ける関係で、子持ちの奥様団員にとっては結構きつい仕事である。その人材を新たに確保するため、5月7日と12日に、補充の団員募集を行った。ソリストとしての独唱が出来、かつ純正のハーモニーを作るために、ヴィブラートの抑制またはノンヴィブラート唱法ができる人、という厳密な条件をクリアーできている人が条件であった。そのため名だたるコンクールで上位入賞した人も採用を見送るという事件も起きた。

2009

26年目(34公演/年)

 文化庁公演の3年目。全国10地区に分かれているにも拘らず、何故か再度H地区、すなわち初年度と同じ四国と兵庫県に指定された。もちろんどの学校も初めての訪問ではあるが、2年前に初めての行程をどのように組んでいくか、色々思いを巡らした記憶が鮮明に残っており、余裕のある楽しい演奏旅行であった。
文化庁子供平成21年度プログラム

文化庁子供平成21年度プログラム
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2010年11月

27年目(35公演/年)

第20回定期公演;
プーランク:スタバート・マーテル
高田三郎:無声慟哭

 この年の4月には、盲目のテノールとして世界を席巻しているボチェッリのバックコーラスを任された。曲目は有名処がが多く、合唱団員も“水を得た魚”で、ヴィブラート制限もなく嬉々とした歌声が武道館に響き渡った。ボチェッリ側も、世界ツァーで各国を渡り歩いているわけだが、日本の(当団の)合唱のレヴェルの高さは群を抜いていると、お世辞ではなく喜んでいた。定期公演は、高田三郎の宮沢賢治の詩による、訛りの多い「無声慟哭」では、ほぼ無調の難しい音採りに苦しんだが、以前ソプラノを牽引してくれていた百合道子氏が、ご主人のヨーロッパへの転勤から帰国され、ソリストとして復帰してくれた。彼女の完璧な絶対音感は大いに救いとなった。各雑誌の批評も良好であり、何よりも高田先生の娘さんからの数々の喜びの意思表示は、大きな達成感に繋がった。
第20回定期公演チラシ

第20回定期公演チラシ ]

第20回定期公演チラシ

第20回定期公演チラシ

第20回定期公演プログラム

第20回定期公演プログラム [PDF]


文化庁子供平成22年度プログラム(小学校)

文化庁子供平成22年度プログラム
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文化庁子供平成22年度プログラム(中学校)

文化庁子供平成22年度プログラム
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2011

28年目(34公演/年)

 東日本大震災の年であった。日本全体にリーマンショックから続く不況に追い打ちを掛ける大天災で、日本中が混乱し、文化団体も多くキャンセルの憂き目にあった。しかし、良い意味でのお役所仕事とでもいうのか、震災の復興のため、国全体の予算が厳しい中、文化庁の公演は、初年度に続いて、前年度に決まった通り、初年度に続く多くの公演(21公演)受注した。地区は関西一円であった。内藤はオーケストラの指揮もあり、テノールであり、編曲から、インスペクタ業務等何でもこなしてくれる内藤裕史氏が約半数の公演を指揮していた。司会は名司会者として誉れ高い池本和憲氏。3月には、広島県三原市からファミリーコンサートの声がかかった。
桜井市立大福小学校

桜井市立大福小学校

香芝市立三和小学校

香芝市立三和小学校

桜井市立大福小学校

桜井市立大福小学校

奈良市立並松小学校

奈良市立並松小学校

2012

29年目(38公演/年)

第21回定期演奏会;
ヴェルディ レクイエム;東京芸術劇場

 この年は、3度目のH地区、すなわち兵庫県+四国であり、文化庁校は20公演であった。数年前に当団の演奏を聴いて、又呼んでくださった(転勤先の学校で)先生との再会もあり、話が弾んだ。
 定期公演は、ヴェルディのレクイエム。有名レクイエムの中でも、最も当団に向く曲であった。バスパートには時々お願いしていた、日本で(ひょっとしたら世界で)最低音を響かせることが出来るエキストラも加わり、世界のそうそうたる劇場によるどのCDよりも良い響きがしていた。この曲の起こりとなった、ロッシーニの葬儀用のために数人の作曲家が1曲ずつ作曲して葬儀に演奏する計画が、最終的に没になり、その時にヴェルディが作った曲を無駄にしないようにと、後に全曲を作ったのがこのレクイエムだが、この定期では、ロッシーニの葬儀用に書いたそのものも使い、おそらく世界初演をした。本番は少々ハプニングもあったが、それを修正した録音は聴きごたえのあるものとなっている。

第21回定期公演チラシ

第21回定期公演チラシ

第21回定期公演プログラム

第21回定期公演プログラム
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私が30年ぐらい前に山形交響楽団の指揮者として3年間在籍していた関係で、その時知り合った現地のマネージャーである増川誠氏の誘いで今までも何度も山形県での一般公演や学校公演で呼んでもらっているが、添付のチラシはこの年の6月のものである。

天童公演チラシ

天童公演チラシ

天童公演チラシ

天童公演チラシ

2013

30年目(33公演/年)

第22回定期公演;
ヴェルディ・ワーグナー集 

 文化庁公演は初めての北海道+北東北地方であり、20公演であった。
 定期公演は、のびのびと団員たちの持てる声をすべて出し切って、朗々と響かせてくれた。後半はオーケストラを左右に分けた中央部分で、簡易ではあるが演技も付けて熱唱をし、会場は大いに盛り上がった(雑誌評)。ソロを担当した人たちには、どの回もそうだが、批評家たちからの評価はすこぶる高く、合唱団の底力を感じる云々と書いてくださる方も一人や二人ではない。
第22回定期公演チラシ

第22回定期公演チラシ

第22回定期公演チラシ

第22回定期公演チラシ

第22回定期批評音友8月号

第22回定期批評音友8月号


第22回定期批評音友8月号

第22回定期批評音友8月号 [PDFで見る]

化庁子供公演新聞記事(七戸養護学校訪問)

文化庁子供公演新聞記事(七戸養護学校訪問) [PDFで見る]

2015

32年目(34公演/年)

第23回定期公演(東京オペラシティ)
メンデルスゾーン交響曲第2番「賛歌」(2015.3.14)

 オーケストラは、メンデルスゾーンの演奏故当然ヴィブラートなどない純な響き、すなわちピリオド奏法と呼ばれるこの時代の奏法(ノンヴィブラート奏法)を基本としていた。それ故、合唱もそれに合わせて、出来る限りヴィブラートを抑制して済んだハーモニーになるように歌ったつもりである。
第23回定期公演チラシ

第23回定期公演チラシ

第23回定期公演チラシ

第23回定期公演チラシ

第23回定期批評音友5月号

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第23回定期批評音友5月号

第23回定期批評音友5月号 [PDFで見る]

2015

32年目(33公演/年)

 文化庁公演も9年目になり、この年指定された地域は北陸一帯であった。文化庁から毎年派遣される、公演の視察員の内緒の言によると、当団の評判は学校からのみならず、文化庁としても評価は高い、と以前から言われているとのこと。毎年全国10地区に分けた中で、合唱団は5団体が採択されているが、必ずしもその5団体が毎年採用されるわけではなく、オーケストラも、有名な楽団が時々不採用になっている。しかし、当団の文化庁的評価は、もちろん非公式だが東西の横綱のランクであり、他の有名な組織に属する団体は関脇か小結とも。もちろんこう言った評価は人によって主観の違いが大きいことが常であり、、絶対評価ではない故、当団も毎年ブラッシュアップに努めなくてならない。既得権的にあぐらをかいていると、ひどい目にあうことは、他の有名団体の不採択例を見ると明らかである。
 9月には、女声団員が東京ニューシティ管弦楽団の定期公演「蝶々夫人」の芸者仲間と親類として和服姿で出演した。

2016

33年目(22公演/年)

2度目のボッチェッリの日本公演のバックコーラスを4月に受注した。前回の成功を受け、先方側からの合唱団指名だったという。 ただ、この年はなぜか文化庁公演が少なく、10公演しかなかった。
少子化も予想以上に早く進み、もうこのころは、ピークの時(第2次ベビーブーム世代)には数十校に及んだ、小中学校からの単独依頼は全くゼロになり、公演数はこの30年で最少であった。

2017

34年目(24公演/年)

第24回定期公演;
モーツアルト レクイエム

 この年の文化庁公演は、東京近辺が当番であった。その中には半世紀以上前に一世を風靡した大田区立西六郷小学校もあった。小学校の卒業生で組織された西六郷少年少女合唱団と言えば、日本で最高峰の児童合唱団で、コーラス好きの人達のあこがれであった。私も昔はその中の一人であった。少子化の中でも、まだこの小学校は多くの子供たちを擁し、クラブ活動としての児童合唱団も、往時を思わせるような立派な水準を保っており、感激すると同時にその重荷を背負わされた先生の素晴らしい指導力に敬意を表したく思った。その年は東京近郊ということもあり、多くの日が自宅からの日帰り公演のため、毎日早朝に家を出なくてはならず、団員にとっては、地方を宿泊しながら回る場合と比べ、かえってきつい年となった。

 定期公演;私も団員もいろいろな機会に何度も経験してきた曲である。かつてモーツァルト没後200年や生誕250年記念を機に、多額なお金が出たのだろう、この、全曲の半分以上が未完である名曲に対し、多くの研究者たちが、我が版こそは、それまでのジェスマイヤー版の稚拙な編曲より優れているとして、出版したのである。それぞれの版にはそれぞれの長所もあり、従来の版は、それだけの欠陥があったことは誰でもが知っている事実であった故、私は直ぐにとび付き、かつて3種類の新校訂版で演奏してみた。しかし、欠陥が多すぎるとは言えども、どの版も我々が慣れ切ってしまったジェスマイヤーの編曲をすぐに超えることは難しく、結局この定期では、元のジェスマイヤー版を基として、唯一他の版で取り上げられたLacri mosa の後に、モーツァルトがこのレクイエム用に書いた素晴らしいアーメンコーラスのみを新たに取り入れて全曲とした。このアーメンコーラスの存在を、おそらくジェスマイヤーは知らなかったのだろう。20世紀になってから発見されたのだから。しかし、発見され、それが確かな証拠もあるならば、これ無くしてはモーツァルトのレクイエムにはならないことは自明の理である。このアーメンコーラスも未完ではあるが、4声体の大フーガのテーマは完全に与えられており、これさえあれば極端な話、フーガの規則を知っていさえいれば誰が補完しても良いフーガが出来上がる。演奏は1曲ずつ交互にソロを受け持ったすべての団員もコーラスもすこぶる良好であり、多くの団体の公演のように、モーツァルトの時代に有り得なかったヴィブラートいっぱいの、不浄の音楽にはなっていない(と思っている)。これもいずれこのサイト経由で You Tube で聞くことが可能となる予定。
第24回定期公演チラシ

第24回定期公演チラシ

第24回定期公演チラシ

第24回定期公演チラシ

第24回定期批評音友5月号

第24回定期批評音友5月号[PDFで見る]

2018

35年目(26公演/年)

 徐々に少なくなる学校関連の公演数。やむを得ないとはいえ、せっかく創立以来の30年間で育まれてきた、プロの合唱団としての演奏レヴェル上の良き伝統や、本番前後に全員が舞台上の準備や終了後の片づけを文句ひとつ言わず、当然のことのように黙々とこなしていく良き姿は、他のプロのクラシックの音楽団体では見られないであろう素晴らしい光景(伝統)である。文化庁公演が始まったばかりのころは、エキストラの中から、“なんでこんなことまで歌手が専門である自分たちがやらなくてはならないのか!”という不満の声が聞こえてこなかったわけでもないが、2~3年後には、誰ともなく皆で手伝い、4人のスタッフだけに任せれば3時間以上はかかるであろう片付けも、30分かからずにこなすようになってきた。これをオーケストラやオペラ団体のように、スタッフだけにやらせていたら、倍ぐらいのスタッフ経費が掛かってしまい(実際にオペラやバレエ団体ではスタッフの人数の方が演者より多いことも少なくない)、国民の税金の無駄遣いに直結していくのである。そういう意味でも当団の態度は、他の団体のお手本になるのではないかと、常々思っている。

2019

36年目(26公演/年)

 4月には、サラブライトマンのバックコーラスとして全国ツァーに付き添い、全国で7公演行った。もちろん暗譜などできていない、ほぼぶっつけ本番のような公演であったが、楽譜を各自が持たず、めいめいの前に上から降りてきた電子楽譜を見ての演奏であった。AIがどんどん進んでいく御時世に、当団としては初めての電子楽譜で、丁度良いところで上手く画面上で楽譜がめくられていくのである。すごい世の中になったものである。
 文化庁公演は、2度目の北海道から北東北地方であった。昨年度の各団体の文化庁公演中、例年をはるかに超える豪雨に見舞われたため、多くの公演が延期になり、その分各団体は2度手間を余儀なくされ、その為の交通費宿泊費等々莫大な経費過多となった。そのためあろうことか、文化庁ともあろうお役所の予備費すらなくなったとのことで、突然公演の規模の縮小を強いてきた。その反省があってか、この年はどの団体も発注数が少なく、逆に予算が余り過ぎたため、10月になってから同じ年度中で、何校かがまとまった時期に鑑賞を希望する学校を、団体の方で探してくれ(正規のルートで希望校を探しても、学校の年間スケジュールはすでに決まっており、なかなか手を挙げる学校が見つからなかったらしい)、との連絡が文化庁サイドから届いた。それを受けて、当団の指揮者でもあるテノールの内藤裕史氏が、大学時代の友人で、北海道で顔の利く高校の音楽の先生にお願いして、1月~2月に極寒の北海道で5校から希望を受けることに成功し、公演した。コロナ騒ぎになる直前の滑り込みセーフであった。

2020

37年目(15公演?/年)
コロナ禍

コロナ、コロナで大変な年であった。
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